実在不明な病気「潜伏結核」は、医者が生み出した?
結核対策に力を入れている国々、特にアメリカは国から結核を撲滅しようと意図しています。保菌者は抗結核薬を飲むことによって結核という病気にならないよう「予防」できます。しかし、アメリカの専門家は考えました。「もっと積極的な考えでいかなければダメだ。保菌者の予防ではなく、潜伏結核の『治療』と呼ぼう。それだともっともっと積極的に抗結核薬が使用されて、結核はもっと早く撲滅できるはずだ」と。
結核菌や保菌者そのものが変化したわけではありません。私たち医者の現象に対する捉え方が変わっただけなのです。恣意的に、「そういう状態は病気と呼ぼう。そして治療の対象にしよう。そうやって、ゆくゆくは結核という病気を撲滅しよう」という態度をあらわにしたのです。結核を本気で撲滅しようと考えているアメリカがこういう態度をとりだし、他の国の医者も同様の見解を持っています。というわけで、現在、結核という病気ひとつとってみても、世界人口の3分の1は潜伏結核患者、ということになります。世界は病人だらけなのです。そのように認識されれば。
このように、医療者の目的に照らし合わせて、ある現象が病気と認識されたり認識されなかったりするのです。病気の認識はきわめて恣意的で、目的に照らし合わせて意図的に、巧妙に行われます。さて、結核菌という菌は実在すると考えてもよいかもしれません。しかし、結核という病気は実在すると考えてよいのでしょうか。潜伏結核なんて病気、実在するかしないかは、医療者側の舌先三寸という気もしませんか?
「潜伏結核」か「活動性結核」、采配は医者次第
潜伏結核という現象とそうでない現象(これを活動性結核と言います)の違いはどのように 認識したらよいでしょう。潜伏結核とは、結核菌が体に入っているけれども結核菌が見つかっていない状態を言いました。活動性結核は、結核菌が実際に体から見つかるときに、そう呼ばれます。多くの場合は熱や咳などの症状を伴っています。これは、医学者たちの約束事、そうコンセンサスとして決められたことなので、特に活動性結核とか潜伏結核という病気が実在しているわけではありません。
結核菌が体に入っているだけ(潜伏結核)というのと結核という現象が顕在化している(活動性結核)という現象に厳密な線引きをすることは、とても困難です。
確かに、「喀痰検査で陽性になれば(ばい菌を見つけることができれば)」「胸部レントゲン写真で影が見つかれば」活動性結核という判断が成り立ちます。そして、このような検査で病気の証拠が見つからなければ潜伏結核である、と。
「受診、検査」がなければ、病気は認識されない
けれども、この考え方にはいくつか問題があるように思います。
そもそも活動性結核という病気を見つけるために必要な検査を行うかどうかは、人間側の都合に依存しているのです。それは、医者の直感だったり(レントゲン検査でもしてみようかな)、国の健康診断検査の仕組みだったり、あるいは患者さんの希望だったりするのです。要するに、喀痰検査をするか、レントゲン写真を撮るかどうかは、人間の「恣意」に依存しているのです。多くの場合は医療者の恣意です。医療者が恣意的に「病気を見つけてやろう」と思うから初めて病気という存在が顕在化するのです。そのとき、初めて病気は病気として認識されるのです。
やらない検査は陽性にはならないのです(陰性にもなりませんが)。喀痰検査は行わなければ絶対に陽性になりません。検査陽性の前提には、検査を行う、というワンアクションが必要になります。しかし、結核という「病気」を持つ方の多くは、症状がないか、漠然としていて医療機関を受診しません。受診しない限りは結核という病名を付けることは永遠に不可能です。