治療後に初めて「病気」だったと認識する?
ふーん。確かに結核って症状が漠然としているので、あまり激烈に苦しんだりはしないものなのです。微熱、体重減少、何となくだるい、という漠然とした症状が数週間続くのが普通です。ですから、本人にも体調が悪い、病気だったと気づかないことってあるのでしょう。なんとなくだるい、くらいは本人にとって「病気とは認識されていない」のでした。治療して「より」元気になったので、初めてこの男性は自分が病気だったことを、はっきりと認識したのです。
さて、「生まれてこの方、病気ひとつしたことがない」と言う人がいる話をしました。しかし、その人は本当に病気をしていないかどうか、確かなことが言えるでしょうか。すでに北京で出会った結核患者さんの例でもわかるように、「自分が病気をしているという認識がない」ということは、「病気をしていない」という保証にはなりません。したがって、自らが自らを病人と、あるいは病人であったと認識するかどうかは、現実に病気であったかどうかとは無関係である、と言うことができます。
「病原菌の発見=病気の診断」ではない
「でも、その北京にいた西洋人からは結核菌が見つかったんでしょ。菌が『実在』しているのなら、結核という病気も実在しているに決まっているじゃないですか。ちゃんと結核という病気として診断され、病気は実在することが『証明された』わけです。科学的に間違いのない事実です。だから、その人が『自覚しようがしまいが』病気は実在するのです。あなたの主張は単なる言葉遊びにすぎません」
こんな批判が聞こえてきそうです。実は、これは医療者であっても陥りがちなピットフォール(罠)です。確かに「病原体」たる結核菌は実在するかもしれません。まずはこの実在は無批判に信じてみることにしましょう(信じたからといってさしあたって困ることもなさそうです)。しかし、病原菌の実在=病気の診断ではないのです。医者ですら、このような誤謬にしばしば陥るのです。この点に ついてもう少し説明しましょう。
結核菌が見つかったから結核という病気が実在する、と仮定してみましょう。病原菌の発見=病気の診断と見なすわけです。しかし、結核菌は世界の人口の3分の1、何十億という人に感染しています。そうすると、世界の何十億という人が「病気」だということになります。もし、「病気」を正常状態からの逸脱と解釈すれば、こんなにたくさんの人々が「逸脱」しているのです。本当にそれで正しいと言えるのでしょうか。
あれ、またまた反論の声が聞こえてきました。「ちょっとちょっと、私が勉強していないと思ってごまかそうとしていますね。結核菌に感染しているだけでは病気とは言わないんですよ。あれは『保菌者』です。菌を持っているだけで、病気をしていないのだから、『病人』ではありません」
なるほど、では菌を持っているだけでは病人とは呼ばないのですね。では、そのご意見を尊重するのであれば、やはり「病原菌の発見」がそのまま病気の診断ではないと言えるのではないでしょうか。