がん検診は患者の死亡率低下に寄与しない
最近、『がん検診の大罪』(岡田正彦氏)や『治療をためらうあなたは案外正しい』(名郷直樹氏)など、やはりがん検診の価値について疑問を投げかける本が相次いで出版されています。私自身はこれらの本をおもしろく読みました。私もがん患者さんをたくさん診ていますが、がん検診や治療そのものに対しては専門家ではないので、これらの本に示されているデータの多くは私にとって耳新しいものでした。素朴に行っていた大腸がん検診や乳がん検診も、患者さんの死亡率の低下に寄与するところは思ったほどないんだなあ、という気づきもありました。
ただ、その後はちょっとひっかかるところもあったのは事実です。本当にがん検診は無意味なのでしょうか。それとも価値のあるものなのでしょうか。
それは、各人の価値の持ちように関わっていると思います。
岡田氏はこう主張します。「(子宮がん検診は子宮がんによる)死亡率を減らすことができて も、総死亡率を減らすほどの効果はない」。だから、がん検診は無意味だと。近藤氏も同様の主張をしています。これは、「総死亡率を下げなければがん検診の価値はない」という主張と換言することができるでしょう。
がん検診を受ける意義は当事者が決める
そうでしょうか。私はがんの専門家ではありませんから、1つひとつの論文のデータを正当に吟味する能力はないかもしれません。しかし、ある主張の論理構造の問題は指摘することは可能でしょう。「総死亡率が下がらなければ検診は無意味」という言説そのものを考えてみましょう。これは本当なのでしょうか。これは科学的な事実というよりある種の価値観、態度を表しているように見えます。したがって、この言説に賛成したり反対したりすることは可能だと思いますが、正しいか、正しくないかという観点から議論することは不可能なのではないでしょうか。
例えば、世の中には「子宮がんにだけはなりたくない」と思っている人がいらっしゃるかもしれません。そういう人にとっては子宮がん検診は価値があるのではないでしょうか。総死亡率が下がるかどうかは、岡田氏や近藤氏が個人的に抱いている価値観の問題であり、そんなことは検診を受ける当事者が決めればいいだけの話だと私は思います。構造構成主義的に言うと、関心相関的に、がん検診に意義は見いだされたり、見いだされなかったりするのだと思います。
子宮がん検診はそれほど痛くない検査ですし、放射線曝露もありません。ただ、プライベートな場所を他人にのぞき込まれ、膣に医療器具を入れられるなど、愉快でない検査であることも事実です。しかし、がんにどうしてもなりたくない、早く治療を受けたいという価値が強ければ、そういう不愉快さも許容されるかもしれません。両者の利益と不利益をどう捉えるかは、それはその人の自由なのではないかと思います。