病気は実在する「もの」ではない
私たちは、肺炎とか、エイズとか、大腸がんとか、こういった病気が「実在する」「もの」と考えがちです。だから、世の中には病気というものを持っている人と、病気を持っていない人との2種類に分けられる、分けることができると考えます。もし、病気が実在する「もの」だとしたら、私は〇〇という病気を持っている人、私は病気ひとつ持っていない健康な人、こんなふうに二者を分別できるに違いないからです。
でも、私の考えでは、病気は実在する「もの」ではないのです。したがって、病気を持っている人と病気を持っていない人、というように2種類に分類することは不可能なのです。病気を持っている人(病人)と病気を持っていない人(健康な人、健常者と言うこともあります)を区分けする方法は原理的に存在しないのです。「病気ひとつしたことがない」と言う人がいます。風邪すらひいたことがなく、健康が服を着て歩いているような、元気だけが(失礼)とりえのような人のことです。
しかし、よく考えてみれば、「病気ひとつしたことがない」と言うためには、その人にとって「病気とは何か」が明らかになっていなければなりません。だって「何が病気か」がわからなくて病気を「したことがない」とは断言できません。その人が「病気ひとつ」したことがないと言えるのは、その人にとって病気が明確にイメージできる「もの」であり、それを「持っていない」という根拠を持って「したことがない」と言えるのでした。しかしながら、私の考えでは病気は実在しない、「もの」ではないので、病気ひとつした ことが「ある」とか「ない」とか厳密には言うことができないのです。正確に言うと、「病気ひとつしたとは、私は思わない」と言うべきなのでしょう。
多くの人は病気は実在する「もの」だと思っているのに対して、私はそんなことはないと主張しています。では、どうして「病気は実在しない。ものではない」と言えるのでしょうか。そして、こちらのほうがより重要なのですが、病気が実在しないとわかると、何かよいこと、便利なことがあるのでしょうか。「ある」というのが私の見解です。
「最近疲れてるな」が、実は結核と判明……
私は2003年から2004年まで北京の国際診療所で働いていました。北京駐在の外国人を対象とした診療所で、日本人の患者さんであれば日本語で、それ以外の国の方にはおもに英語で診療します。
さて、ある日、西洋人の若い男性がやってきました。昔の話でうろ覚えですが、確か健康診断の結果が要再検査だったからとか、そういう理由で来院したのでした。でも、自覚症状は全くないとのことでした。自覚症状とはその名の通り病気の症状が自覚できていること、つまり、痛いとか、つらいとか、そういう感じです。そういう自覚症状はないまま、「自分は特に困っていない。けれども、検査が必要だからきました」と彼は言うのです。こういうことってよくあるのではないでしょうか。検査の必要性が受診の理由なのです。
そこで、いろいろ調べてみると、その男性には結核という「病気」があることがわかりました。症状が全くなくても「病気」になることがあるようなのです。胸のレントゲンではわずかに異常な影が映っており、喀痰(かくたん)検査からは結核菌が検出されました。けれども、驚くことはさらにありました。その患者さんには結核治療薬を出したのですが、そうしたら、その男性は「とても元気になった」と言うのです。
私は驚いて聞きました。「最初全然症状がないとおっしゃっていましたよね。それが、よくなったのですか?」
その「患者さん」は答えました。「そうなんです。自分では全然病気ではないと思っていました。でも、結核の治療を始めてから、みるみる元気になっていく自分を感じて、どうも治療前はやっぱり調子が悪かったということがわかったのです。仕事やストレスで疲れが出たのかな、別に病気というほどでもないだろう、ぐらいに思っていたのです。でも、結核の治療薬を飲むと、あのころは実は体調が悪かったということがはっきりしてきたのです。食欲も増して体重も増えたし、とても元気です」