野村証券、驚愕の利益。「狂乱の時代でした」
当時、野村證券の利益は5000億円を超えていました。まさに景気のいい話で、毎日飲み歩き、タクシー乗り放題で、経費を際限なく計上しても、これだけの利益を出していたわけです。ボーナスもすさまじい額が支給されていたことでしょう。今思えば狂乱の時代ですが、昭和バブルのなかに生きる人たちにとってはそれが普通の時代でした。
プラザ合意後の1985年9月24日に1万2755円をつけた日経平均は、1989年12月29日に3万8915円まで上りつめています。たった4年で3倍以上です。日本株全体のPERは80倍を超え、株価に対して利益がさほど高くない割高株がはびこり、もはや市場は説明のつかない状態に達していました。日経平均は上がる一方ですから、何を買っても儲かるのは当然だったのです。
私は当時まだ大学生。日本全体が浮かれていた状況であったことをよく覚えています。しかし本当は、次の事実を忘れてはいけなかったのです。
お金をいくら使っても使い足りないほどの、この異常過ぎる好景気は、戦後最低の低金利だからこそもたらされたものだということを。
話は次のバブル崩壊へと続きます。
続きは明日(7/30)配信。
※本記事は書籍『株オタクの現役IFAが指南!本当に儲かる「株」講座』を抜粋したものです。
同連載
【有料】〈銘柄公開〉元証券マンが見極めた…将来有望株の「時価総額」
原田 茂行
IFA/自由が丘財産コンサルタンツ合同事務所代表/一般社団法人シニアウェルスライフ協会代表理事