金利引き上げが発端の「昭和バブル崩壊」
■バブル潰し
昭和バブルの真っ只中、新しい株価指標として登場したのが「Qレシオ」でした。「簿価上の純資産」を用いて算出するPBRという指標があるのですが、これに対しQレシオは「時価評価した純資産」と「株価」を比較しているのが特徴です。
新しい指標は、新しい視点を与えてくれる画期的な側面があります。しかし当時の株価が異常な高値をつける事態のなかでは、PERで説明ができないくらいになった銘柄を、半ば強引に「いいもの」「お買い得なもの」と評価するため、Qレシオが生まれたという見方もできます。画期的ながら、当時の相場に危険信号を灯す新指標ともいえたのです。
鉄鋼業や電力業などの土地を多く保有している、つまり「時価評価した純資産」が多い企業などが、Qレシオを参考にして買われていきました。当時の信用取引残高はおよそ9兆円(2019年末ですと2兆円強です)に達し、日本中が株価上昇に浮かれていました。資産価格バブルの絶頂です。
そんななか、1989年に日本銀行総裁が澄田智氏から三重野康氏に代わり、いわゆる「バブル潰し」として政策金利を段階的に引き上げていきました。異常なほどに上がってしまった地価や株価に歯止めをかけるための調整、のはずだったのですが、正常化にならず、逆にマイナス方向へと振り切れてしまい、景気後退を招いてしまいます。
金利を上げた直後はさほど大きな効果はなかったのですが、年明けの1990年から株価は急落し始めます。