失われた10年「平成不況」…あの時代の栄枯盛衰
■経済政策という名のガソリン
平成不況はバブル崩壊後の不況のことを指し、一般に「失われた10年」とも呼ばれています。平成初期の景気後退期は大きく3回あり、1991年から1993年がバブル崩壊直後の第1次平成不況、1997年から1999年初めにかけてがアジア通貨危機やロシア通貨危機の第2次平成不況、そして2000年後半から2002年にかけてがITバブル崩壊後の第3次平成不況です。
この10年の特徴は、一定の価格帯を行き来する「レンジ相場」であったことです。日経平均は、およそ1万4000円台から2万円台の間を行ったり来たりしていました。景気後退局面が訪れては、そのたびに国主導の総合経済対策が発動され、株価が上昇していき、エネルギーが切れるとまた下がり始め、また新たな経済対策が発動される、ということの繰り返しでした。経済政策をガソリンにしては下りてきた分の坂を上がる、という相場の動きの連続だったのです。
細かく日経平均を拾ってみると、1992年8月18日の1万4309円から1993年9月13日の2万1148円までは上昇率がおよそ47.8%。これが同年11月29日には1万6078円とおよそ24%下がり、1994年6月13日には2万1552円とおよそ34%の上昇を見せています。ここからまた下がり始めて、翌年の1995年7月3日には1万4485円をつけおよそ33%の下落率。
ここを底に燃料投下で上げ相場となり、1996年6月26日に2万2666円という高値をつけています。この間の上昇率はおよそ56.5%です。このように、平均して30から40%程度、大きい坂では50%超えという上げ下げを繰り返しています。
1997年11月には金融機関が次々と破綻しました。3日に三洋証券、17日に北海道拓殖銀行、24日の山一證券破綻は講座1でも触れましたね(関連記事『「失敗しろ失敗しろ」ノルマ地獄で心が壊れた証券会社の壮絶』)。
1997年12月には日経平均がまたまた1万4000円台へと戻ってしまいます。
総合経済対策が出るたびにゼネコンやそれに関係する鉄鋼・セメント・非鉄金属などが上昇し、仕手株と呼ばれるような銘柄が乱舞していました。
日経平均はレンジのなかでしか動いていないので、株や投資信託を保有したままだとまったく値上がりしませんでした。持ちっぱなしでは、配当金や分配金こそあれど、大きな儲けは得られなかったのです。途中途中で上げ相場と下げ相場を繰り返したものの、大局的に眺めると「平に成り続けた」だけの、まさに平成を象徴するような10年でした。