新技術限定バブル~もてはやされ過ぎた「ITバブル」
1999年の初めごろから日本国内で新しいバブルが起こります。背景にあるのはアジア通貨危機やロシア通貨危機などに端を発したLTCM破綻です。
恐慌への突入がささやかれる最中、世界中の金利が下げられ、淀む金融経済の健全化を目指した結果、株式市場に資金がどっと流れ込みました。ご多分に漏れず、このたびのバブルも、経済政策による金利引き下げから始まったのです。
しかも世界規模の引き下げですから、その勢いにはすさまじいものがありました。この低金利の追い風に乗って一気に上昇していったのが、IT事業関連の銘柄でした。
時間を少し戻しますが、当時はパソコンが一気に普及し、インターネットの発展速度が著しい時代でした。米国で1995年にマイクロソフト社がWindows95を発売したあたりが、世界的なITバブルの出発点と見ていいでしょう。
情報通信関連企業が多く上場している米国のナスダック総合指数は、1996年に1000前後で推移していたものが、1998年9月に1500、1999年1月には2000を突破し、世界的な金利引き下げ後の2000年3月には5000を超えています。
マイクロソフト社を筆頭に、コンピュータネットワークのシスコシステムズや、インターネットサービスのアメリカオンライン、そしてアマゾンなど、IT事業関連の銘柄が高騰していきました。
日本は平成不況の真っ只中でしたが、1998年10月に日経平均が1万2000円台の底値をつけて以降、ITバブルに引っ張り上げられるようなかたちで、2000年4月13日に2万833円まで上昇しました。
ソフトバンクや光通信などの株価が2年で100倍に上がっていくという、とんでもない相場へと成長。あらゆる投資家がIT事業関連銘柄に注目していました。
当時の大手証券会社はそれぞれの旗艦ファンドを持っており、いずれのファンドもこぞってIT事業関連銘柄を組み入れていたため、資金が大量流入し、ITバブルがみるみる形成されていった次第です。
ITバブルという名前のとおり、株価が上がっている銘柄は電機・通信・システム・ソフト・半導体関連のものばかりでした。古くからある、いわゆるオールドエコノミーと呼ばれる銘柄はまったく上がらなかったのです。
特に電鉄・不動産・食品・建設などは、ITバブルが頂点に向かっていくにつれ下がり続けているような状況で、東急や京成電鉄や大成建設などは最安値をつけていました。住友不動産が最安値をつけたのもこの頃です。
ITバブルは、まさにITだけのバブル。各銘柄の動きを見ると、昭和バブルとは毛色がまったく異なることがはっきりと分かります。
株価が昭和バブルと同様の動きを見せたのは、取引の手数料で稼ぐ証券会社でした。私が勤めていた大和証券は株価が8倍くらいに上昇しています。動いていくものについていく証券会社のビジネススタイルを如実に物語っているといえるでしょう。