「山手線内側の土地価格で、米国全土が買えた」時代
これにより、一時は1ドル240円という超ドル高だった為替相場が、1987年後半には1ドル120円まで、一気に円高へと進みました。単純に、日本円から見てドルの価値が半分に落ちたのです。
米国に対し、一時は1万円で売れていたものが、5000円にしかならなくなってしまったのですから、日本の輸出産業は大打撃です。日本は一気に不況へ陥りました。
この非常事態に日本銀行は金融施策を発動、政策金利を5回にわたって引き下げます。1985年に5%だった政策金利が、1987年には2.5%という戦後最低の低金利となりました。
金利が低くなったことで銀行からお金が借りやすくなりました。企業は借りた資金で土地や株式などに投資する財テクに走り出します。その結果、株価も地価もうなぎ上りです。
ピーク時の都内中心地の地価は、一般人には手の出せない価格となってしまいました。ある試算では、山手線内側の土地価格で、米国全土が買えるというデータがはじき出されたのだとか。まさに土地神話。地価は上がっていくものである。土地の価値が下がっていくことなど、およそすべての人が考えつかなかったのではないでしょうか。
■異常なPER
昭和バブルの概要はここまでとして、実際の相場を眺めてみましょう。前述のとおり企業がこぞって財テクに夢中となった時代なので、株価も異常なほど上昇していました。1987年に新規上場したNTTが好例です。上場時の売り出し価格は1株119万円、これが2カ月後には318万円と2倍以上に達しています。
驚くべきは、株価と利益の関係を示すPERという指標。15倍前後が標準的といわれるなかで、200倍という異常な数値を叩き出していました。これは株価が「恐ろしいほど割高」であることを示していますが、当時ではこれが当たり前のように受け入れられていたのです。
NTTの株式上場は、企業だけでなく個人も財テクに手を出すきっかけとなりました。私の父もNTTの公募株をもらっていて、大きな利益を得られたそうです。NTTがこの時代を象徴する銘柄の一つですが、昭和バブルはどの株を買っても儲かるような時代だったといえるでしょう。
取引を仲介する証券会社の株価も1987年前後に高値をつけていました。企業も個人も入り乱れて激しく売買をしていたので、手数料で稼ぐ証券会社にたくさんの資金が流れ込んだのです。