バブル過ぎ「1万円→4000円まで暴落」の阿鼻叫喚
■ITバブルの乱高下
1998年末ごろから始まったITバブルにはすさまじい勢いがありました。このバブルの詳細についてはあとの連載で述べるとして、ここでは私が大和証券を離職するまでの経緯を書いていきます。
証券会社の営業は上がっていくものに付いていくのが常套手段。右肩上がりの株をひたすら追いかけ、取引回数を増やし、各社ITバブルに乗っかるかたちで大きく売上を伸ばしていました。多くの証券会社営業員が結果を出せる時代だったのです。
ただ私の場合、割安だと思う銘柄をお客さまに勧めるスタイルだったので、人気があり割高な銘柄の株価がさらに上昇し続けている状況では、相対的に営業成績が悪くなり、この時はたいへん苦労した思い出があります。1999年の夏、営業課の同僚たちがITバブルに浮かれて仕事のあとビアガーデンへと繰り出している一方で、一人会社に残り電話で顧客対応をしていたときは、本当に涙が止まらなくなりました。
人気のあるものにつくのは投資信託でも同様で、IT関連に特化して投資するファンドが数多く設定されました。大和証券では「デジタル情報通信革命(愛称、0101)」というファンドが立ち上がり、3000億円ほどの資金を集めていました。すぐに基準価格は40%以上も上がりましたが、その後ITバブルの崩壊により、スタート時の1万円に対し4000円にまで暴落する事態となりました。ITバブルを象徴する乱高下といえるでしょう。
■私の人生の乱高下──課長に昇進、そしてうつ病に
2003年の9月に私は課長へ昇進、翌年2月には埼玉の支店に営業課長として赴任しました。入社12年目での営業課長職は順当といえる出世で、これで支店長、そして役員への道が開けた、と喜んでいたのも束の間。思わぬ壁にぶち当たることとなりました。