「何でもかんでも兄さんばっかり!」
【事例】
都内で小さな部品工場を営んでいた田中義雄さん(仮名)が急死した。75歳だった。
60歳を過ぎてからは、長男の勇さん(仮名、48歳)へ、事業を少しずつ承継していた。日に日に忙しくなる息子の傍ら、趣味の描画を楽しんだり、地域のシニア交流会に顔をだしたり、充実した余生を楽しんでいた。70歳を超えてからは、少し物忘れが増えたものの、認知症と呼ぶほどではなかったという。しかし、突然の脳梗塞により意識不明、心肺停止状態で病院に運ばれたものの、死亡が確認された。
急逝に親族一同が戸惑う一方、さすがは経営者か、義雄さんはしっかりと遺言書を書き残し、保管場所を勇さんに伝えていた。内容自体はシンプルで、「事業を継ぐ勇に、自社株式(評価額1億円)を相続させる。今まで本当にありがとう」というものであった。しかし、これに怒りを露わにした血縁者がひとり。長女の加奈さん(仮名、46歳)である。
「遺言書を見たときの反応、もうすごかったですよ。すさまじい剣幕でまくしたてられました。『何でもかんでも兄さんばっかり! 不公平よ! いつもそう!』って」
勇さんと加奈さんの母は、若くして亡くなっていた。そのため、父と長男と3人暮らしのときは、加奈さんが母親代わりの存在だったそうだ。学校に通いながら、家事全般を担っていたという。大学卒業後は、地方の銀行員として働き、地元の男性と結婚。子どもが生まれて以降、専業主婦として育児に励んでいた。
なぜ加奈さんは怒ったのか? 実は義雄さんの遺言書には続きがあり、「加奈には、預金1,000万円を相続させる」とだけ書いてあったのだ。1億円相当の株の承継と、1,000万円の現金相続。確かに大きな差があるようにも思えるが、勇さんはこう語る。
「でもねえ、親父の仕事を手伝っていたのは俺だし、なんだかんだ世話も見てましたから。しかも相続したとはいえ、株ですからね。ウチみたいな企業は今後何があるかわからない。1,000万円現金でもらえる妹のほうが、よっぽど恵まれてるんじゃないかと思うんですけど、まあそれを伝えたところで、火に油でした」
勇さんとしては、名実ともに経営者となった今、事業に集中したい気持ちが強かった。妹と揉める時間がもったいない。どうにかして話を収めたかったが、加奈さんの怒りが静まることはなく、ついに遺留分(法律上、相続人に保障されている一定の割合の相続財産)を請求するに至った。
「『経営するわけでもないのに、お前が株を持ってどうするんだ』と言ったら、『相続分をお金で貰えるようになったのよ。兄さん知らないの』と……。俺が払う総額は1,750万円にもなるそうで、もうてんてこまいです。疎遠も疎遠、嫁いでからは全然顔も見せていなかったのに、財産だけはしっかり請求するのかというのが、正直なところでした」
「遺留分」を「金銭」で請求できるようになった
1.見直しのポイント
2019年7月1日から、「遺留分」に関する制度が見直されました。遺留分を侵害された人は、遺贈や贈与を多額に受けて遺留分を侵害した人に対し、遺留分侵害額に相当する分を「金銭」で請求できるようになりました(金銭債権化)。
加えて、遺贈や贈与を受けた人が遺留分権利者に支払う金銭をただちに準備することができない場合には、受遺者等が裁判所に対し、その全部または一部の支払いについて期限の猶予を求めることができるようになりました。
2.従来の制度の問題点
従来の遺留分制度では、遺留分の減殺請求権が行使されることによって、株式や不動産が共有状態になり、事業承継の支障になるという点が指摘されてました。上記の例でいうと、会社の経営に関わっていない加奈さんにも、会社の株式が分散されるという事態が起こり得たわけです。
しかもその共有割合は、目的財産の評価額等を基準にしているため、分母・分子ともに極めて大きくなるケースが多く、持分権の処分に支障が出る恐れがあったのです。
【加奈さんの遺留分】
(1億円+1,000万円)×1/2×1/2=2,750万円
【加奈さんの遺留分侵害額】
2,750万円-1,000万円=1,750万円
【従来の対処法】
勇さんは、遺留分(2,750万円)を侵害された加奈さんから遺留分侵害額(1,750万円)に相当する財産の返還を求められました。結果、2人に自社株式が分散する状態となってしまいます。
●長男が取得する株式:「8,250万/1億」相当(82.5%)
●長女が取得する株式:「1,750万/1億」相当(17.5%)
3.制度改正のポイント
今回の改正で、遺留分権利者が遺留分減殺請求を行使することによって生じる共有関係を未然に回避でき、遺贈や贈与の目的財産を受遺者等に与えたいという遺言者の意思を尊重できるようになりました。
本記事のケースでいうと、勇さんが自社株式の共有を防げたのは幸いでした。一方で、遺留分侵害額請求によって生じる権利は「金銭債権」となるため、その額を金銭で工面する必要があります。かなり手痛い出費になったことは、間違いないでしょう。
服部 誠
税理士法人レガート 代表社員・税理士
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