英単語の解釈をめぐり、数億円をかけた訴訟を継続
今回は、実際に海外取引でどのようなトラブルがあったのか、筆者の見聞した事例をいくつかご紹介していきます。
まずは言葉の壁によるものです。通常、契約書を締結するにあたっては、どちらかが作成した契約書の文面を相手方に送付して確認してもらい、お互いにやりとりするかたちで修正の交渉を始めます。
このとき、日本企業同士であれば当然、契約書は日本語で作られますから、内容を把握するのは容易です。仮に、その文面が不明確であったとしても、日本語を使う者同士ですから問い合わせも簡単ですし、明確な文面に作り変えることもできます。しかし、海外取引の場合は簡単にはできません。
明らかに日本企業側の力が強く、相手方も日本語に通じた役員や従業員がいる場合を除けば、たいていの契約書は英語で作成され、交渉も英語で行われます。このとき、相手方が英語ネイティブであれば、ツールとしての言語を操る時点で日本企業に不利な交渉になります。また、相手にとってもこちらにとっても英語が外国語であれば、お互いの意思の疎通がパーフェクトであるかどうかにも疑問符がつきます。
また日本企業のなかには、英文契約書の文面を和訳して意味を把握しようとする企業もあるでしょう。このとき、英文契約書に詳しい人が和訳するのであれば間違いはないのでしょうが、英語には詳しいが契約書には詳しくない翻訳会社などを使うと、その内容を違えて受け取る危険性があります。
例えば「target」という英単語があります。日本語では「目標」などと訳されることが一般的ですが、英文契約書における「target」と日本語の「目標」とでは、微妙にその意味が異なります。
英文契約書において「target」が出てくるのは、具体的には商品の「年間最低購入数量」の「目標」といったような場面です。このとき、和訳で「目標」という言葉を見ると、あたかもそれが努力目標であるかのように感じられます。特に、毎年の業績の「目標」を高めに設定している企業の場合、「目標」はあくまでも「目標」だから、達成に向けて精一杯努力はするものの、必ずしも達成できなくてもよいものだと受け取ることがあります。
しかし、英文契約書で「年間最低購入数量」の「target」と書かれていたら、それは確実に、達成すべき「義務」の意味です。そして買手が「target」に届かなかった場合、通常は何らかの罰則が適用されます。たいていは契約書のなかでその罰則の内容についても触れており、義務であることが明らかなので問題にならないことが多いのですが、罰則が罰則として分かりやすく明記されずに、お互いに英語が外国語で、契約書の内容も詰めない文化だったりすると、双方の思い込みが異なってトラブルに発展することがあります。
私の知っている事例では、外国企業から製品を輸入していた日本企業が、この「target」を達成することができず売手企業から損害賠償金を求められたのですが、「事前に説明がなかったので義務だと考えていなかった」と支払いを拒否し、裁判になっていました。
決着がついていないので、どちらが正しいともまだいえないのですが、お互いに何億円もの弁護士費用を払って何年も訴訟しているのを見ると、契約において一単語でもおろそかにすると、物理的にも精神的にも多大なダメージを被ることになると思い知らされます。
最終版で意図的に納期・金額を書き換えるずるい企業も
この事例は、お互いに悪意がなかったのに利害が相反して対立したものですが、片方に最初から悪意が認められるようなケースもあります。
契約書の作成にあたっては、条文の内容をめぐってお互いに何度もやりとりを交わすものですが、最初の叩き台を作成する側は、自社に有利な契約書を作成するものです。
送られた側はその内容を子細に検討し、譲れないポイントをリストアップして、修正する条文を考えて相手方に送るのですが、当然、それがそのまま受け入れられることは稀です。そのため、何度もやりとりが繰り返されて、お互いに妥協しつつ最終的な文面を決定することになります。
このとき、やりとりする契約書の文面において、どの部分に不満があって、どのように変更したいかを明示するのは、ビジネスにおける基本的なルールといって差し支えないでしょう。契約書によっては、その総分量が何十頁にも及ぶことがありますから、毎回どの部分に変更があったかをすべて確認するのは時間の無駄です。
ところが、しばしばその紳士協定を無視して、変更箇所を明示せずに修正してくる企業があります。そのような場合、こちらも目を皿のようにして内容をチェックするのですが、人間ですからどうしても見落とすこともあります。特に、タフな交渉を重ねてすでに合意したはずの事項について、何の連絡もなくさらりと変更されていると、思い込みもあって気がつかないことがあります。
そのため、いったんは合意したはずの金額や納期について、最終バージョンで意図的に書き換えてくるようなずるい企業もあるのです。この場合、「別の金額や納期で合意したはずだ」と主張して証拠となるEメールを裁判所に提出しても、契約書には必ずといってよいほど、「契約書以外の合意は無効になる」と記載されているため、最終的にお互いがサインした契約書の内容が有効と判断されます。
このようなケースに巻き込まれないように、日本企業が海外取引を行う際には、英文契約書の内容について慎重に検討する必要があります。
菊地 正登
片山法律会計事務所 弁護士