買手側でも売手側でも、注意すべきポイントは同じ
ひとくちに海外取引といっても、その中身にはさまざまなパターンがあります。ここでその概略を見てみましょう。
まず、日本企業が買手となる場合と、売手となる場合で分けられます。立場が正反対になりますが、契約書の注意すべきポイントに変わりはありません。
買手となる場合はできるだけ金額を安く、納期を短く、そして最低購入ノルマを負わないようなかたちを考えます。売手となる場合は、逆にできるだけ金額を高く、納期を長く、最低購入ノルマを相手に負わせるようなかたちで交渉を進めるべきでしょう。
また、その契約が売買契約なのか、それともライセンス契約なのかによっても、取引の内容は異なります。
製品の売買契約であれば、代金と引き換えに受け渡すべき製品が明確に存在するので取引内容が明瞭になります。しかしライセンス契約の場合は、代金の対価にあたるのが権利なので、その権利の及ぶ範囲について、種々のケースを想定して条文を明確にしなければなりません。
本連載では、日本企業の海外進出を想定し、日本企業が売手となって海外の販売代理店に製品を卸す事例を基本として想定します。
なお、今ここで簡単に販売代理店と書きましたが、正確にいえば、販売店(ディストリビューター)と代理店(エージェント)は別物です。販売店はメーカーから商品を購入して販売しますが、代理店は顧客とメーカーとの間の売買契約をまとめるだけで在庫は抱えません。本連載で想定している事例は主に販売店のほうです。日本では販売代理店の呼称が定着しているので、本連載ではディストリビューターのことを「販売代理店」または「販売店」と表記します。
製品サンプルの送付にも細心の注意が必要
さて、日本から海外へ製品を販売するだけでも、さまざまなケースが存在します。それは主に、海外進出の度合いと深さによって分類できます。
まったく初めての海外販売の場合、それは往々にして単発の取引となることが多いです。
それ以前に、取引の前にサンプルを送って、実際に相手の目と手で製品を確かめてもらうことになるでしょう。結果的に取引に至らない場合もありますから、これは海外販売以前の問題です。
しかし、油断は禁物です。サンプルを送ることは、それに伴ってある程度の製品情報を相手方に知らせることになるので、場合によっては製品のアイデアや企業秘密などを盗まれることもあります。サンプルを分解(リバースエンジニアリング)されて、コピー品を作られる危険性も皆無ではありません。サンプルを送る際は、必ずNDA(秘密保持契約書)を交わしてください。このように、実際に取引が成立していなくとも、取引を検討している段階から契約書は必要になります。
NDAの内容については、紙面の都合により詳述しませんが、海外取引がどの段階から始まっているかに注意してください。
相手方がサンプルに満足して、実際の取引を始めるといっても、いきなり継続的な取引になることは滅多にありません。現地企業も、「実際に販売してみないと、市場の反応は分からない」と考えるからです。そのため、初回はある程度の数量の単発取引になりがちです。
単発取引といっても、契約は契約ですから、契約書の重要性は変わりません。ただし、継続的な契約ではないので、内容はシンプルになります。おおまかにいえば、売手はいつまでに製品を出荷しなければならないか、買手はその代金をいつまでに支払うかを決めることが中心です。もちろん、製品にかかわるNDAは必須ですし、品質について不具合があった場合の取り決めなどはあったほうがよいでしょう。
基本的にはモノを渡して対価を受け取るだけの簡単な取引ですが、海外取引の場合は取引にかかる税金、物流にかかる時間、そして支払い方法が国内取引と異なってくるので注意が必要です。
単発でも海外取引では、前払いにするのか、後払いにするのか、分割払いにするのかということ以外にも、どの国の通貨で決済するのか、為替レートの変化はどこまで気にするべきか、海を渡ることになる物流の保険はどうするべきか、買手は物流のどの地点から責任を負うべきかなど、考えなければならない点は多いのですが、慣れてしまえばさほど難しいものではありません。単発取引の場合はお互いに「お試し」の要素が強く、それほど契約交渉に時間をかけたくないものですから、きつい条件を詰めてくることも少ないのです。
この単発取引が成功すると、継続的な取引契約へ進むことになります。毎回同じような単発取引を定期的に行うより、継続的な取引契約を結んだほうがお互いに楽です。
継続的な取引契約になると、契約期間はいつまでで、自動的に更新するのか否か。どちらかが解約したくなった場合、いつまでにどのようなかたちで通告するべきか。契約が終了した場合、在庫はどうするのか。損害賠償責任はどの範囲で発生するのか。また、売手は競合企業に製品を売ってもよいのか、それとも独占販売店契約を結ぶのか。独占販売店契約の場合、独占エリアはどこまで認めるのか。並行輸入品があった場合の扱いをどうするべきかなど、検討するべきことが飛躍的に増えてきます。
当初は非独占販売店契約を結んで様子を見て、お互いに利益があると思えば独占販売店契約を結ぶ流れが基本です。
継続的な取引がさらに深い関係になると、現地に合弁会社を設立して現地生産を始めたり、取扱品目や数量をさらに増やしたり、ライセンス契約を結んだりなどの関係の深化が見られます。合弁会社を設立したり、ライセンス契約を結んだりすると、取引相手といっても半ば一心同体になりますから、その関係も友好的なものになります。それでも、基本的には別々の企業ですから、利害の不一致によるトラブルがないわけではありません。
このような現地企業との取引による海外進出が成功した場合、最終的には日本企業が現地に100%資本の子会社を持つこともあります。この場合、たいていは、これまで協力してくれた現地の販売代理店との関係を切るかたちになりますから、場合によってはトラブルの原因となります。販売代理店ビジネスは、あくまで他社の製品を販売展開するものなので、製品を持つメーカーの意向次第でビジネスが終了してしまうこともあるという点はモノの売買という形態の取引では共通したリスクといえます。
契約締結から終了まで…バーバリーとアップルの例
どのような契約が結ばれ、どのように契約が終了するのか、具体的な例をいくつか見てみましょう。ここでは、海外メーカーが日本企業と組んで日本市場へ進出する例を紹介します。
イギリスのファッションブランドのバーバリーは、1914年から日本に輸出を行ってきた老舗のブランドです。当初は丸善株式会社を通しての輸出でしたが、1970年には日本企業の株式会社三陽商会とライセンス契約を結び、日本人の体型に合わせた「バーバリー・ロンドン」の製造販売を三陽商会に許可しました。
しかし、2010年代になると、Eコマースの発展もあり、バーバリーは自社製品を輸出する戦略に切り替えます。当初は、三陽商会や三井物産株式会社とともに日本の輸入総販売代理店の合弁会社「バーバリー・インターナショナル」を設立しますが、2014年には両社から株式を買い取り、100%子会社の「バーバリー・ジャパン」に改編します。その後、2020年まで結んでいた三陽商会とのライセンス契約を2015年までに短縮して、ライセンス契約を終了しました。この結果、三陽商会は50年近くにわたって展開してきたバーバリーのブランドを失い、別ブランドを立ち上げざるを得なくなったのです。
もう一つ事例を紹介しましょう。今をときめくアップルが、まだiPhoneやiPadはもちろん、Macintoshすら発売していない創業当初、日本でアップルのコンピューターを輸入販売していたのは株式会社イーエスディラボラトリ(以下、ESDと表記)というベンチャー企業でした。このESDは地道に啓蒙活動を行い、立ち上がったばかりのパソコン市場の開拓に努めました。
しかし、アップルはESDに独占販売権を与えず、1980年に大手繊維メーカーの東レ株式会社を総販売代理店に指定します。日本での啓蒙に尽力してきたESDは資本の小ささからアップルに敬遠されたのです。
ところが1982年、東レは日本での販売が伸びないことからアップルとの契約を解消します。そのため、アップルは再びESDに輸入販売を任せます。ESDは喜んでアップルと提携しましたが、その期待は再び裏切られます。
翌1983年、アップルは日本法人アップルコンピュータジャパンを設立し、総販売代理店に大手のキヤノン販売株式会社(現在は「キヤノンマーケティングジャパン株式会社」)を指名したのです。キヤノン販売の下でディーラーの一社となることを求められたESDは、やがてアップルから離れていきました。
このように、海外取引の成立と終了には、さまざまなかたちがあります。どのような契約であっても、当事者同士が納得して契約書にサインしたのであれば、明らかに法律違反でもしていない限り、たいていは有効とみなされます。ですから、契約締結にあたって交わす契約書の内容が、たいへん重要になるのです。
菊地 正登
片山法律会計事務所 弁護士