「帰ると言ったことは一度もない」息子が抱えていた思い
翌週、直人さんは一人で実家を訪れました。
「ちゃんと話しておきたいことがある」
そう切り出した息子は、これまで言えなかった気持ちを打ち明けました。
「父さんたちが家を大切にしてきたのはわかる。でも、俺はここに戻ると約束したことは一度もないんだ」
直人さんは現在の勤務先で責任ある仕事を任され、妻も近くで働いています。娘は学校生活に慣れ、友人もできました。
実家に戻るとなれば、夫婦のどちらかが仕事を変える必要があり、娘の転校も避けられません。
「帰省するたびに、いつか戻ってくる前提で話されるのがつらかった。否定するとがっかりさせると思って、ずっと曖昧にしていたんだ」
隆夫さんは、息子の話を聞きながら、これまでのやり取りを思い返しました。直人さんが「戻る」と明言したことは、確かになかったのです。
咲子さんも「私たちが勝手に決めていたのかもしれないね」と口にしました。
内閣府『令和5年度 高齢者の住宅と生活環境に関する調査』によると、子どもがいる高齢者のうち、将来「同居したい、同居を続けたい」と答えた人は23.2%、「同居ではなく近居したい」は32.8%でした。一方、「同居も近居もしたくない」は14.1%です。
親子の住まい方についても、さまざまな希望があることがわかります。
隆夫さんは、息子が実家を継ぐものと考え、住み替えを検討してきませんでした。しかし、今後も車に頼る生活を続けられるかは、夫婦自身が考えなければならない問題です。
「家を残しておけば喜んでくれると思っていた。でも、息子には息子の生活があるんですね」
その後、夫婦は近隣の不動産会社に自宅の査定を依頼しました。すぐに売却するつもりはありませんが、駅や病院に近いマンションへ移る場合、どの程度の費用が必要になるか調べ始めています。
直人さんも、実家に戻ることは難しいものの、定期的な連絡や必要な手続きの手伝いは続けたいと話しています。
「頼れるところは頼りたい。でも、息子の人生まで決めることはできませんから」
隆夫さんは、以前よりも落ち着いた表情でそう語りました。
高齢期の住まいや生活を考える際、子どもの存在が安心材料になることはあるでしょう。ただ、子どもにも仕事や家庭があり、住む場所を簡単に変えられない事情があります。親子がそれぞれの希望を早めに伝え合い、必要に応じて住み替えや外部サービスも検討することが、将来の負担を減らすことにつながります。
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