6. なぜ、自白をとるのか
先ほど御紹介したTBSの岩花記者のインタビューでも簡潔に言及していますが、私などは検事1年目のときから「自白をとれ」と指導されてきました。客観的な証拠が十分にあって自白がなくても起訴して有罪立証が容易な事件であっても、むしろ、そうした客観証拠が潤沢な事件であるからこそ「どうして証拠があるのに割れないのか」ということで、より一層自白をとることに努め、真相解明をすべく供述を引き出す力を鍛えるように指導されてきました。逆説的に聞こえますが、「証拠がないから」ではなく、「証拠があるから」こそ自白をとる、ということです。
それでは、なぜ、検察は(警察も含め)、自白にこだわるのでしょうか。
再審無罪事件や検察官の取調べ時の暴言の事案などでは、検事は、自白がないと有罪立証できないから、冤罪の被疑者を追い込んで無理に自白をさせた(させようとした)等といった絵図が描かれます。事件や状況によっては、有罪立証のためには自白が必要だから自白をとろうとするというケースは確かにありますが、それが(あるいは「それだけが」)自白をとる理由だと言われると、私などは違和感を抱きます※7。
※7 被疑者が真に犯人であって犯罪を犯したのであれば、「自白がとれないから起訴できませんでした、有罪立証できませんでした」というのは被害者や社会に対して通用せず、真に有罪なら客観証拠を極力集めて自白の有無に関わりなく有罪立証すべきであって、それが検事・検察官の職責です。被疑者が自白したら起訴して有罪立証できた、否認したら起訴できず有罪立証できませんでした、などというのは、正直者がバカを見る世の中です。
自白を求める理由は、事件の性質や検事の個性によって説明の仕方や重点の置き方に違いがあり得るところですが、私などは主に以下の理由だと思っています。
自白は「証拠の王」ではないが、「捜査の王」ではあるという言葉があります。
自白だけに依存して犯人性や罪体等の事実認定をするのは、冤罪の危険が高いことから、補強証拠の要求など、自白への過度の依存による冤罪を防止するための方策が歴史的に発展してきました。
その一方で、自白は「捜査の王」ではあります。自白があって初めて、殺人事件であれば、被害者の死体をどこに埋めたのかが判明し、あるいは凶器の遺棄場所なども分かって、その被疑者が犯人であることの客観証拠が得られます。供述の信用性評価にとって重要とされる「秘密の暴露」なども、自白があるからこそ判明することです。つまり、客観証拠で自白が得られるとは限らず、むしろ、自白があって初めて客観証拠が得られるのです。
自白が捜査の王であることは事案の真相解明についても当てはまります。
自白がないと、現象面を超えて真相を突き止めることが容易ではありません。私などは新任検事の時、上司から「現象面だけで終わりにするな。現象に引きずられるな」という指導を受けました。ここで「現象」とは、表面に現れた事実、表面で見えている事実といった意味です。被疑者が人を殺傷した、物を盗んだり騙し取った、暴力団員が拳銃でかちこみをした等といった事実のことです。こうした事実を立証できる証拠を集めただけで捜査完了と思うな、ということです。実は、共犯者や背後の黒幕がいるかもしれません。単発の窃盗や詐欺のように思えばその背後に巨大な犯罪組織があるかもしれません。あるいは大規模な汚職スキームの一部かもしれません。そもそも、暴力団犯罪の際に「ヤクザの自首は信じるな」と昔から言われるように、犯行に使われたチャカ※8(拳銃のことです)を持って警察に出頭した被疑者は真犯人ではなく、身代わりかもしれません。もちろん、捜査では、金の流れや被疑者本人の行動履歴(さらに、今日的に言えばメールやチャット、SNS、ラインなど)等を捜査することで、現象面だけで終わりにしないようにするのが基本ですが、こうした客観的・断片的な情報だけでは真相解明に限界があることも少なくなく、結局は、被疑者本人から共犯者・黒幕・背後関係その他の自白を得ることが重要となります。
※8 唐突に隠語を使いましたが、新任検事の当時、隠語を覚えるように指導され、捜査関係の隠語集といった警察官向けの書籍ないし資料を入手して勉強しました。隠語くらい使いこなせないと、警察の担当者と付き合えないという理由からでした。
最近、新聞等で、匿名・流動型犯罪グループ(匿流)の関与が疑われる詐欺事件で広島地検福山支部が司法取引を行ったと報道されていましたが、捜査協力型の司法取引の主眼も主として供述証拠つまり自白証言を得ることで現象面を超えた真相を解明することにあると考えられます。
自白は被疑者の犯行動機や理由・背景の解明にも重要です。自白がなくても、被疑者がその犯罪を犯した動機や理由・背景を間接証拠・客観証拠で認定することはできますが、そうした認定では必ずしも被疑者の本当の心の中まで立ち入ることはできず、被疑者の改善更生を図る方策や環境調整を行うことに限界があります。このことは、企業不祥事で「真因」解明が重要であり、目の前の不祥事に対する個別具体的な再発防止策を講じても、真因解明をしなければ、他の類型の企業不祥事をも含めた再発防止の徹底を図ることができない等と言われていることと同じです。企業不祥事における真因解明を個人のレベルに引き直したものとなります。また、罪を認めて反省悔悟することが改善更生の出発点です。検事・検察官は、被疑者(犯罪者)を責める側面がある一方で、被疑者の改善更生を真に願うものです。好き好んで死刑や無期懲役を求刑する検事はあまりいないのではないかと思います。検事であれば、被疑者が罪を償って社会復帰し、二度と再犯しないことを願うものです※9。
※9 同時に、検察官は被害者や遺族に寄り添いその適正な処罰感情を実現する責務を負っています。余談ですが、東名高速道路における大型トラックの飲酒運転による死亡事故や隼君事件など痛ましい交通事故が相次ぎ、平成12年頃、私は法務省刑事局刑事課で「酒酔い運転等による死傷事故の厳罰化」を担当しましたが(例えば危険運転致死傷罪の創設なども、立法自体は担当していませんが、当時の施策の一つでした)、その当時、複数の国会議員(与野党双方)等から「検察は遺族の気持ちを分かっていない。この種の事件は殺人罪で起訴すべきだ」等といった厳しいお叱りを受けました。社会あるいは人々のこうした思いに答えることは検察官の責務です。
