1. はじめに
一般に、米国内に拠点がある日本企業には米国法が直接適用され、また、米国に被害者がいる場合にも日本国内の拠点まで米国法の影響が及ぶことがあります。そのため、日本企業においても、米国司法省(DOJ)の動きから目を離すことはできません。とはいえ、トランプ政権下でのDOJに関する報道をすべて追うのは現実的ではありません。大切なのは、数ある動きの中から自社に影響しそうな事柄を見極めることです。本稿では、最近のDOJの変化を踏まえ、日本企業が取り組むべきコンプライアンスのポイントを整理いたします。
2. 相次ぐ人材流出、DOJ対応における不確実性の高まり
まず注目したいのが、DOJからの人材流出です。報道によると、少なくとも7つの部局で、経験ある検察官が抗議の意味で辞職しました。ロイター通信によれば、約2000人のDOJ所属弁護士が退職し、大手法律事務所に転じる割合は以前より2〜3%増えました。また、米国ロースクールの学生との会話の中で、DOJが、以前は極めて競争率の高い選考を経て人材を採用していた職種について、現在は積極的なリクルート活動を行っていることが分かりました。ベテラン検察官の退職が続き、組織の経験と人数の両面に影響が出ていると考えられます※1。
※1 David Thomas, Lawyers Leaving US Government Drive Workforce Shift, Reuters (Jan. 30, 2026), https://www.reuters.com/legal/government/lawyers-leaving-us-government-drive-workforce-shift-2026-01-29/, last visited June 19, 2026.
この状況は日本企業にも影響を及ぼしかねません。日本の検察官と同様、米国連邦検察官は高度な専門職で、経験の蓄積が欠かせません。重大な権限を持つ連邦検察官だけに特別に適用されるルールは多く、それらを習得するには時間がかかり、DOJで一人前になるまで約5年がかかると言われることもあります。これまで、経験豊富な連邦検察官の下で行われていたDOJの捜査には一定の対応パターンがありましたが、今後は新任の検察官が捜査を担当することによって対応の見通しが立ちにくくなり、企業側の戦略も変容を迫られる場面もありそうです。そもそも、DOJが従来と同じ能力を重視して人材を育成する保証もありません。これまでは経験豊富な検察官と企業側弁護士の間には信頼関係や共通の相場観がありましたが、新任検察官との間で同じような関係を築くのは容易ではありません。
実際、従来の常識では考えにくい意思決定も見られます。ある独占禁止法違反事件では、訴訟の最中にDOJ上層部が現場の訴訟チームを通さず被告と独断で和解に合意したと報じられています。現場の意見を聞かずに上層部が和解するのは異例で、裁判官も驚きを示しました。日本企業から見れば、DOJの対応はますます読みにくくなっていると言えるでしょう※2。
※2 Kara Scannell, Judge Scolds Live Nation and Justice Department for Secret Settlement Talks, CNN (Mar. 10, 2026), https://www.cnn.com/2026/03/10/politics/live-nation-ticketmaster-justice-department-settlement-controversy.
3. 企業が担う不正発見の最前線
こうした動きと並行して進んでいるのが、DOJの「企業執行・自主的自己開示政策(Corporate Enforcement and Voluntary Self-Disclosure Policy(CEP))」の拡充です。この制度について、2024年当時のDOJ副司法長官リサ・モナコ氏は、アメとムチを組み合わせて責任ある企業姿勢を促すと説明しました。企業が自ら不正を見つけて当局に報告すれば、悪質な事情(aggravating circumstances)がない限り起訴を見送るといった優遇措置を受けることができます。その過程で企業はDOJの調査に協力し、他の関与者の訴追に役立つ情報や証拠を提供する必要はありますが、高額な罰金を科される可能性に直面してDOJの強制捜査を受ける場合よりも有利な立場に立てます。CEPは、企業に不正を自ら発見し、適切に対応するコンプライアンス体制の運用を求めており、不正を見つける最前線を検察官から企業のコンプライアンス部門へと移していると言えるでしょう。
このようなCEPの拡充は、直近の特定の政権に限った話ではありません。1993年に談合事案に関するリーニエンシー政策の改定に始まり、2017年には海外贈賄事案に関する企業執行方針(Corporate Enforcement Policy)が導入されました。第2次トランプ政権下の2026年3月には全部局・全案件に適用される最新版が公表されました。企業からの協力を求める姿勢は一貫しています※3。
※3 Justice Department's Antitrust Division Announces Whistleblower Rewards Program, U.S. Dep't of Justice (July 8, 2025), https://www.justice.gov/opa/pr/justice-departments-antitrust-division-announces-whistleblower-rewards-program.
DOJ以外の米政府機関の統計も、DOJがCEPを今後も重視する可能性を示しています。商品先物取引委員会(CFTC)は2024年、通報制度が重要な摘発手段だったと報告し、執行案件の約42%が通報をきっかけにしたと指摘しました。証券取引委員会(SEC)によると、寄せられる通報件数は年々増えております。こうした状況を見ると、DOJがCEP重視の方針を転換するとは考えにくいです※4 ※5。
※4 CFTC Whistleblower Office, Annual Report on the Whistleblower Program and Customer Education Initiatives: Fiscal Year 2024, U.S. Commodity Futures Trading Commission (Nov. 15, 2024), https://www.whistleblower.gov/sites/whistleblower/files/2024-11/FY24%20Customer%20Protection%20Fund%20Annual%20Report%20to%20Congress.pdf.
※5 SEC Office of the Whistleblower, Annual Report to Congress for Fiscal Year 2025 (Feb. 11, 2026), https://www.sec.gov/files/fy25-annual-whistleblower-report.pdf.
4. 「規制の振り子」が示すリスク
以上の2つの動きを踏まえると、日本企業に求められるのはコンプライアンス体制の強化であることは、疑いようがありません。まず、しっかりした体制があれば、予測しにくいDOJとの接点を持つリスク自体を減らせます。仮にDOJとの関わりが避けられない場合でも、CEPの枠組みを通じて企業が主体的に調査に関わる余地が広がります。CEPを通じた調査では企業がDOJにとって主な情報源となるため、企業側として結果の見通しが立ちやすくなります。
また、「今は規制が厳しくないから安心だ」という考えは通用しません。米国のホワイトカラー犯罪の歴史には「振り子の揺れ(pendulum swing)」と呼ばれる特徴があります。規制が緩む時期の後に大規模な不祥事が起き、再び厳しい規制が導入される――このサイクルが繰り返されてきました。2001年のエンロン事件後のSOX法(企業改革法)成立、2008年のリーマン危機後に当時の副司法長官サリー・イエーツ氏が打ち出した経済犯罪への個人責任追及方針などがその例です。さらに2017〜21年の第1次トランプ政権後には、前述のモナコ氏もイエーツ氏と同様の経済犯罪への個人責任追及方針を発表しました。企業が次の大規模不祥事の当事者になるリスクを減らすうえでも、コンプライアンス体制の強化は重要です。不正があっても、コンプライアンス体制を通じて、その拡大を未然に防ぐ効果が期待できます※6 ※7。
※6 Memorandum from Sally Q. Yates, Deputy Att'y Gen., U.S. Dep't of Justice, to Att'y Gen. & All United States Attorneys, Individual Accountability for Corporate Wrongdoing (Sept. 9, 2015), https://www.justice.gov/archives/dag/file/769036/dl.
※7 Memorandum from Lisa O. Monaco, Deputy Att'y Gen., U.S. Dep't of Justice, to All Assistant Att'ys Gen. & All United States Attorneys, Further Revisions to Corporate Criminal Enforcement Policies Following Discussions with Corporate Crime Advisory Group (Sept. 15, 2022), https://www.justice.gov/d9/pages/attachments/2022/09/15/2022.09.15_ccag_memo.pdf.
5. 日本でも進む制度整備と課題
2020年の公益通報者保護法の改正で、内部公益通報対応体制の整備が一部企業に義務づけられるなど、日本でも制度面の整備は進んでいます。しかし、一方で、報復を恐れて内部通報制度が利用されず形骸化している、あるいは、内部通報制度が十分に機能、浸透していないという指摘や、日本は外国と違って従業員の解雇をしにくいから外国の法律をそのまま持ち込んでもうまく機能しないのではないか、といった声もしばしば聞かれるところです※8 ※9。
※8 「日本企業の内部通報、指摘開示は6割未満 形骸化に懸念」、日本経済新聞(電子版)、2025年6月13日、https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2124Z0R20C25A3000000/
※9 「内部通報、事業者側の責任重く?制度改正巡り慎重論も」、日本経済新聞(電子版)、2024年8月23日、https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE037FP0T00C24A7000000/
米国における社内通報制度についても、同様の指摘を挙げることができます。米国のCFTCやSECの通報窓口によると、重要な通報者の一部はまず社内の内部通報制度を通じて報告を試みていました。SECが2021年に公表した報告書によると、SECから通報を行ったことを理由に報奨金を受け取った通報者の約45%は、まず社内で懸念を伝えた後に、SECへ通報していました。通報者に対する報復に関しても、米国の医療ベンチャー、セラノス社をめぐる不正事件など重大なケースで、通報者は不正を報告した後に個人的な困難を経験したと証言しています※10。
※10 U.S. Sec. & Exch. Comm'n, Off. of the Whistleblower, Annual Report to Congress: Fiscal Year 2021, at 22 (2021), https://www.sec.gov/files/owb-2021-annual-report.pdf.
こうした事例が示すのは、内部通報制度への投資が無駄ではなく、内部通報制度が適切に整備されていれば、企業は、より早く不正を把握して、より適切な対応ができるということです。コンプライアンス体制の整備にはコストが伴うことは間違いありません。しかし、そのコストを理由に投資を先送りすれば、長期的にはより大きなリスクを抱えることになります。「コンプライアンスの費用が高いと思うなら、コンプライアンスがない場合のコストを考えてみるべきだ(if you think compliance is expensive, try non-compliance)」という言葉もあります。コンプライアンス体制が不正規模を縮小させることを示す公的なデータは多々存在します※11。また、例えば、法的な優遇措置としては、米国量刑ガイドライン(U.S. Sentencing Guidelines)において、違反行為の時点で実効性のあるコンプライアンス制度を運用していた企業に対し、基本罰金額が軽減される仕組みがあります。さらに、不正が発覚した場合の影響も罰金だけにとどまらず、経営陣の責任追及、企業価値の低下、世界的な評判の失墜にまで及びます。しかも今のようにDOJの対応が不透明な状況では、そのリスクは一層大きいです。
※11 例えば、Association of Certified Fraud Examiners, Occupational Fraud 2024: A Report to the Nations(2024) 参照, https://www.acfe.com/-/media/files/acfe/pdfs/rttn/2024/2024-report-to-the-nations.pdf.
また、公益通報者保護法が義務付ける内部通報制度はコンプライアンス体制の重要な柱の一つにすぎません。コンプライアンスを達成するためのそのほかの重要な柱として、例えば、通報を待たずに自ら遵守状況を確認するプロアクティブな取り組みが挙げられます。具体的には、米国の海外腐敗行為防止法(FCPA)や日本の不正競争防止法に抵触するリスクの高い地域の特定、リスクの程度も踏まえた定期的なコンプライアンス研修、組織設計や内部監査などがあります。こうした取り組みがあることを従業員が知っていれば、従業員は周囲の圧力に対して抵抗力を持ち、不正の抑止と予防、早期発覚につながります。ルールに従いやすいとされる日本の従業員の気質、勤勉さを考えれば、こうしたプロアクティブな取り組みへの投資は、他国に比べてもより効果的になるかもしれません。
6. おわりに
米国の司法執行の変化は、日本企業に「不確実性の高まり」と「自ら管理体制を強化する必要性」という2つのメッセージを発しています。こうした環境では、実効性のあるコンプライアンス体制を築くことが企業の競争力を支える土台となります。日本企業でも内部通報制度の整備が進む中、コンプライアンスは単なるコストではなく、不確実な時代を生き抜くための重要な経営資産という認識をより一層深めるべきでしょう。
以上

