もう孫も連れて行かない…父が「失ったもの」
決定的だったのは、健一さんの長男が大学進学を諦めかけた時でした。志望校には合格したものの、初年度納付金や一人暮らし費用が重く、家族で進学先を見直す話になっていました。
健一さんは最後のつもりで、正治さんに相談しました。
「全部出してほしいとは言わない。少しだけでも助けてくれないか」
正治さんは、また同じように言いました。
「甘えるな。自分で何とかするものだ」
その瞬間、健一さんの中で、何かが静かに切れたといいます。
「……そこまでして守りたいなら、そのお金、墓場まで持っていけばいい」
言った直後、健一さん自身も言いすぎたと思いました。しかし、もう引き返せませんでした。
それ以降、健一さんは実家へ足を運ばなくなりました。孫も、祖父の家へ行かなくなりました。
正治さんは最初、怒っていました。
「親に向かって何だ、あの言い方は」
しかし、月日が経つにつれ、家の中の静けさが重くなっていきました。以前は正月や盆に孫が来て、食卓がにぎやかになることもありました。今は電話もほとんどありません。
「金を出さなかっただけで、ここまでされるのか」
正治さんはそう思ったといいます。けれど健一さんにとって問題だったのは、金額そのものではありませんでした。
「助けてほしい時に、父は一度もこちらを見てくれなかった。家族より通帳の残高が大事なんだと思ってしまったんです」
正治さんは現在も、資産を大きく減らすことなく暮らしています。ただ、孫の成人式の写真は、健一さんの妻から一枚送られてきただけでした。
「直接会って、おめでとうと言いたかった」
その言葉には、後悔がにじんでいました。
老後資金を守ることは大切です。しかし、お金を守ることだけに目を向けすぎると、気づかないうちに家族との時間や信頼を失ってしまうことがあります。
正治さんが握りしめていた6,000万円は、確かに将来への備えでした。けれど、それを一度も家族のために使わなかったことで、正治さんは「助け合える家族」という、通帳には残らない財産を失ってしまったのかもしれません。
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