危機への対処が国をより強固に
米国の危機はここで終わらず、第四の危機、2008年にリーマンショックが起こった。いわゆるバブルの崩壊である。
バブル崩壊に関しては、リーマンショックから遡ること約20年前、日本でも不動産バブルの崩壊が起こったが、日本は不動産融資を厳格化して資金の流れを止めてしまった。
バブルが崩壊して資金の流れが目詰まりを起こしていたにもかかわらず、さらに資金供給を抑制する政策を打ち出したのだから堪ったものではない。日本経済は「失われた30年」といわれる、極めて長期のデフレ経済を経験することになった。
一方、米国はリーマンショックというバブル崩壊にどう対処したのかというと、QEと称された量的金融緩和を行い、市場に大量の資金を供給したのである。
そして、これが大成功を収めたのだ。リーマンショックの対処法も、極めてリフレ的なものだったといえる。
もしも量的金融緩和や財政資金による経済支援・不良債権処理を行わなかったら、2010年代の米国経済と資本市場の発展は望めず、今日のAI革命は起きなかっただろう。
アメリカの栄華を築いた先進思考
このように米国の歴史を振り返ると、歴史的な危機に見舞われたときの対応として2つの重要なポイントがあることに気づかされる。
ひとつは常に不変のゴールが明確であり、それが順守され続けたことだ。そのゴールとは国民生活水準の向上、つまり「成長」である。どうすれば米国経済が成長でき、米国国民の生活水準を引き上げられるか、これはいつの時代においても不変の、米国のパーパスなのである。
もうひとつのポイントは変化・改革し、壁つまり成長阻害要因を乗り越えてきたことである。
たとえば、前述したように米国経済は極めて保護主義的だったが、東西冷戦時代の終了とともに「グローバリゼーション」を声高に唱え、自由貿易主義へと大きく舵を切った。
また外交政策についても、19世紀から20世紀の初頭にかけて孤立主義(モンロー主義)を掲げ、米大陸における欧州の干渉を許さない一方で、欧州には積極的に関与しないという姿勢を見せていたのが、東西冷戦の終結後は「グローバリゼーション」を掲げ、世界の警察という立場をとるに至った。
金融政策、信用創造に関してはより大胆に変化した。それはまさしく融通無碍、試行錯誤の連続であったが、米国経済の成長と国民の生活水準向上が正義なのであった。
このように見てくると、米国が世界の覇権国の地位を築いたのは必然であったことがわかる。米国例外主義はこれまでのところ妥当しているのである。
武者 陵司
株式会社武者リサーチ
代表
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