世界大恐慌を招いた「過剰な楽観」の代償
米国の歴史上第二の危機は1929年の世界大恐慌と、1941~1945年の第二次世界大戦である。
世界大恐慌は「暗黒の木曜日」と呼ばれる、米国の株価暴落に端を発して世界中に広がった大不況のことだ。工業生産は半減し、株価は10分の1になり、失業率は25%まで高まった。
鉄道による米国市場の一体化、電気の普及、石油の発掘と自動車の普及など急速な技術発展により人々は自信にあふれていた。
しかし過剰な楽観が引き起こした過剰投資により、経済の供給力が著しく高まったのに、株価下落と信用収縮で著しい需要不足がもたらされ、極端な不均衡が生じた。
自国の生き残りをかけて米国が選択した方法は、金本位制からの離脱とニューディール政策である。
金本位制から離脱したのは、金融政策の自由度を高めるためだ。金本位制のもとでは、通貨発行量が金の保有量によって制限される。景気回復を促すために必要な量の通貨を供給できず、金融緩和政策の効果が限定的になってしまうのである。
戦後復興を支えたニューディール政策
米国大統領だったフランクリン・ルーズベルトは、1933年に金本位制を停止させるのと同時に、「ニューディール政策」、すなわち有効需要を創出するための財政出動も積極的に行った。
もしも大恐慌の後も、金本位制と財政均衡主義が維持されていたら、その後はどうなっただろうか。
需要不足によってデフレが長期化し、米国産業は破壊され、第二次世界大戦に勝利するための工業力は失われていたかもしれない。信用創造システムの再建強化なしにはその後の発展はなかった。
それにしても米国が大恐慌の後遺症から完全に抜け出すには、1939年からの第二次世界大戦を待たなければならなかった。
米国の自動車需要が1929年のピークを上回ったのは20年後の1949年であった。
第二次世界大戦は世界経済の危機であったが、米国の大きな転機となった。米国は大戦で被災した欧州諸国の復興を目的とした「マーシャルプラン」を策定した。
マーシャルプランは当初、復興のための資金援助の形をとり、その9割が無償贈与であった。これにより西ヨーロッパ諸国の戦後復興は早まり、同時に米国企業は巨大な欧州市場を獲得することになった。
米国が世界の工業生産の5割を支配するほどの経済大国に成長するに至ったのだ。
こうして米国経済は大いに発展し、それによってもたらされたのが大衆消費社会の到来である。
米国の人々の生活水準が劇的に向上し、1950年代から1960年代にかけては、「ゴールデン・フィフティーズ&シックスティーズ」と呼ばれる好景気が訪れた。
戦後の復興需要と内需拡大により、米国は未曾有の経済的繁栄を謳歌したのだ。高い経済成長率が維持され、労働者階級の賃金が上昇し、中間層が成長し、多くの米国国民が豊かな生活を送れるようになった。
それと同時に、大量生産・大量消費の時代が到来し、テレビや冷蔵庫といった家電製品や自動車が一般家庭に普及し、高度大衆消費社会が形成されていったのである。

