ゴールドオンライン新書最新刊、Amazonにて好評発売中!
『司法書士が全部教える 「一人一法人」時代の会社の作り方【基本編】』
加陽麻里布(著)+ゴールドオンライン (編集)
『富裕層が知っておきたい世界の税制【カリブ海、欧州編】』
矢内一好 (著)+ゴールドオンライン (編集)
『司法書士が全部教える 「一人一法人」時代の会社の作り方【実践編】』
加陽麻里布(著)+ゴールドオンライン (編集)
シリーズ既刊本も好評発売中 → 紹介ページはコチラ!
格式と色香の街、祇園
八坂通の一角、建仁寺のほど近く、ふと視界に五重塔の姿が映る場所に、「天ぷら圓堂」は暖簾を掲げています。観光客でにぎわう通りを、舞妓さんが足早にすり抜けていく華やかさと活気が入り交じる祇園の街で、伝統やしきたりを受け継ぎながら、私はこの店とともに料理屋としての精進を重ねてきました。
けれども、最初からこの道を歩もうと思っていたわけではありません。家業であったお茶屋を継ぐつもりも、ましてや天ぷら屋を営むつもりも、当初は毛頭なかったのです。祇園に生まれ、商いの空気の中で育ち、気づけば天ぷらを揚げることになっていたそんな運命の流れに翻弄された歩みでした。その始まりには、祇園という街の、少し特別な空気の中で過ごした日々がありました。
京都・祇園は日本の中でもひときわ特異な文化を持つ街です。舞妓さんや芸妓さんが男性客をもてなす「花街」として発展を遂げ、住人のうち女性が占める割合は全国でも指折りの高さを誇ります。私が生まれた1960年頃の祇園は、お茶屋、置屋、仕出し屋の3つの事業で成り立つ「三業地」として繁栄していました。
舞妓さんや芸妓さんに行儀作法や芸を仕込み派遣するのが置屋、男性をもてなす場所を提供するのがお茶屋、お客様に最高の料理を提供するのが仕出し屋で、それぞれが役割を担い、互いに支え合っていたのです。私が幼少の頃、祇園には数多くのお茶屋、置屋、仕出し屋が軒を連ねていたものです。
祇園が三業地と呼ばれるようになったのは、地域内にあるお茶屋、置屋、仕出し屋の三者が手を組み「三業組合」を組織したことで街が栄えたことが由来です。同業組合を作ったのは、店同士の不要な競いを避け、街全体が共存共栄していくためでした。
当時、祇園のお茶屋には独自のルールがありました。利用できるのはある程度の社会的地位と名誉を持つ殿方だけとされ、今でいう会員制クラブのように、誰もが利用できる場所ではなかったのです。私の母が営む明治十八年創業の「お茶屋近江榮」もそうした店の一つでした。


