HHIによる日本国債市場の寡占度分析
HHIとは?
日本国債市場の構造的な集中度を定量的に把握するために、本稿ではハーフィンダール・ハーシュマン指数(HHI: Herfindahl-Hirschman Index)を用いる。HHIは、ある市場における各プレーヤーのシェアの2乗を合計した値であり、0から10,000(=1002)(%2)までのスケールで表される。値が高いほど、特定のプレーヤーへの集中が進んでいることを意味する。
HHIは本来、産業組織論において市場の競争状況や寡占度を把握するために用いられる指標であるが、その応用範囲は広い。特に、本稿のように日本国債の保有構造の分析においては、どの程度の保有が一部の主体に集中しているか、またその集中が時間とともにどう変化しているかを示す上で、有効な手段となる。
ただし、HHIの数値をどう評価するかには一定の基準が必要である。参考として、公正取引委員会(JFTC)が企業結合の審査で用いるガイドラインでは、以下のような閾値が示されている1。
1 公正取引委員会『企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針』(企業結合ガイドライン)において、「HHI≤ 1,500」「1,500 < HHI≤ 2,500かつHHI増分≤ 250」「HHI> 2,500かつHHI増分≤ 150」とするセーフハーバー(水平型企業結合において通常、競争を実質的に制限するものとはみなされない範囲)が明記されている
この基準は、あくまで水平的な企業間競争の文脈で設定されたものであり、本稿で扱う日本国債市場のような公的債券市場にそのまま適用できるわけではない。ただし、HHIの絶対値を評価する際の一つの目安として有用であり、「どの程度集中が進んでいるか」を直感的に把握するための補助的な物差しとなる。
本節では、このような背景のもとHHIを導入し、次節以降では日本銀行を含めた場合・除いた場合の保有構造における集中度の推移を順に確認していく。
日本銀行を含むHHIの推移
本節では、業態別に日本銀行を含めた形で算出したHHIの推移を確認し、日本国債市場における保有構造の変化を概観する。
日本銀行を含めたHHIは、2013年以降に急上昇した。これは、異次元緩和政策の一環として日本銀行が長期債の大量購入を開始したことによるものである。2016年以降のYCC導入後も含めて、日本銀行の保有残高が増加したことで、結果として保有構造の集中が進行した。
実際、直近の2024年12月時点のデータでは、HHIは約3,104であり、先に紹介した公正取引委員会の基準に照らせば、「高度に集中した市場」に該当する。この水準は、特定の主体が市場を支配している状態に近いことを示唆しており、価格形成機能や市場の厚みに対する懸念が現実のものとなっていることを意味する。
加えて注目すべきは、この集中度が単に一時的な政策効果にとどまらず、長期にわたって継続している点である。2021年3月以降の世界的な金利上昇傾向に伴って、YCCの維持を目的した日本銀行による日本国債購入の拡大も、HHIの高止まりに拍車をかけた。
このように、日本銀行が「最後の買い手(buyer of last resort)」として日本国債市場を支えてきた構図は、HHIの推移からも明確に読み取れる。他の保有主体の比率が相対的に低下していくなかで、日本銀行の圧倒的な存在感が市場の寡占度を一段と引き上げてきたことは疑いの余地がない。
もっとも、2023年以降は、YCCの修正・撤廃、買入減額の決定を経て、日本銀行による日本国債の保有割合は徐々に低下しており、HHIも若干ながら低下の兆しを見せている。ただし、その水準は依然として高く、直ちに「市場の自立性」が回復したとはいいがたい。
このことは、日本国債市場が依然として「日本銀行の買入れ依存」の構造から脱却できていないことを示唆している。日本銀行込みでのHHIが高水準であるという事実は、政策変更時における市場の脆弱性──たとえば金利の急変動や需給の不安定化──を内包しているといえる。
日本銀行を除いたHHIの推移
本節では、日本銀行を除いたうえで、業態別にHHIを算出し、金融正常化の進展に伴い、日本銀行の市場関与が縮小した場合の、日本国債市場の保有構造について考察する。政策的には、日本銀行による日本国債の買入れは縮小傾向にあり、名目的には「日本銀行による市場支配の緩和」が意識されつつあるが、他の市場参加者による分散的な保有構造が十分に確立されているといえるのか確認する。
日本銀行を除いたHHIは、2011年から中長期的に緩やかに減少(=集中度合いが緩和された)しており、直近の2024年12月時点では約1,719となっている。この数値は、公正取引委員会の基準に照らせば「中程度の集中」に分類される。構成比率を詳しく見ると、生命保険、預金取扱金融機関という二つの主体が突出して高いシェアを占めており、HHIの大部分をこの二者が形成していることがわかる。
具体的には、2024年12月時点で生命保険が約781、預金取扱金融機関が約421のHHIを構成し、これだけで合計1,200を超える水準となる。かつては預金取扱金融機関による寡占的な保有構造が中心であったが、2011年以降はその影響力が徐々に低下する一方、生命保険の存在感が拡大している。残る数百ポイントは海外・公的年金・年金基金などその他の主体によって占められているが、その分布は分散的とはいいがたく、構造的な偏りが残存していると評価せざるを得ない。
これは、日本銀行を除いたとしてもなお、日本国債市場において「準寡占的構造」になっていることを意味している。しかも、生命保険と預金取扱金融機関という、ともに金融規制・会計制度・資産負債構造に強く影響を受ける主体に保有が集中している点が重要である。市場構造の安定性は、それらの主体が日本国債を継続的に保有し続けるためのインセンティブ──利回り、リスク許容度、金融規制等──に大きく依存している。このような制度的な制約の下では、業態ごとに似通った投資行動が選好されやすくなり、保有構造の多様性が失われるリスクが内在している。
以上を踏まえると、仮に日本銀行が今後市場から完全に撤退したとしても、残された民間主体の構造が十分に分散的であるとはいいがたく、金利の急変やリスク許容度の低下といった外部ショックに対する耐性には依然として限界がある。むしろ、「脱・日本銀行」の達成は形式的なものにとどまり、実態としては新たな寡占構造へと移行する可能性がある。
次章では、こうした構造の中核を担っている預金取扱金融機関と生命保険をとりまく構造的なリスクに焦点をあて、制度的・財務的な側面から、各主体の日本国債の保有スタンスに内在するリスクと行動制約を検討する。



