文化活動を援助するパトロンとしての大倉喜七郎
会社人としては適性を欠くが、この時代を代表する偉大な文化人として、彼は世に広く知られた。絵画関連の活動では、興味深い戦前のエピソードが残る。それはイタリアの独裁宰相ベニート・ムッソリーニとの関係で、経緯はこうである。
1928年(昭和3)、東京の三越呉服店ギャラリーで「伊太利名作絵画展」が開催された。このとき喜七郎は展覧会の賛助委員になっていて、イタリアを代表して来日した名誉軍人で政治家のエットーレ・ヴィオラと親交を持った。そして、ほどなく首相になるムッソリーニが日本文化の愛好家であることを伝え聞くと、喜七郎はさっそくヴィオラをとおして横山大観作の六曲一双屏風を贈った。
ムッソリーニはこれをたいそうよろこび、やがてイタリアで日本絵画展の開催をという機運が高まった。そうして1930年にローマの地で日本名「羅馬開催日本美術展覧会」が開催された。
喜七郎が費用を全額負担し、横山大観に運営と人選を一任、川合玉堂、竹内栖鳳らの協力をえて日本画の実力者80人による160点以上の作品が展示された。展示会場の内装は、大観と喜七郎があくまで日本風にすることを主張し、そのために大規模な内装工事が必要となった。
そこで、わざわざ日本から床の間の材料や青畳を輸送させ、宮大工6人、表装師2人、さらに華道の大家も現地に派遣するなどした。この結果、喜七郎が負担した費用総額と展示作品購入費は現価にして50億~100億円にもなった2)というから、喜七郎がこの日本美術の宣伝活動にいかに執念を燃やしていたかがわかる。作品は展示会後に大倉集古館に収蔵されることになった3)。
作り手個人への出資も行った喜七郎
喜七郎は音楽家の支援にも力を入れたが、オペラ歌手の藤原義江へのそれは尋常ならざるものだった。1904年(昭和9)に藤原は藤原歌劇団を旗揚げするが、喜七郎はその費用全額の一万円をぽんとだした。
「本場に負けない、日本のオペラをつくるんだ」
そう激励する喜七郎は、さらに5000円を活動費用として藤原にわたした。それだけではない。喜七郎は帝国ホテル社長の座にあった時代、藤原をホテルの一室にずっと住まわせ、室料や食事代はすべて喜七郎がポケットマネーから支払った。日常生活の手間を省いて藤原を音楽活動に専念させるための援助だった。その期間は25歳の新進気鋭の時期にはじまり、藤原が77歳で死去するまでの52年の長きにわたった。
さらにホテル内での勘定だけでなく、外の一流料亭での飲食代やデパートでの買い物代までホテルにつけさせて、それも喜七郎がポケットマネーから全部支払っていた。そういう関係は喜七郎が帝国ホテルを去り、犬丸徹三社長の時代となってもずっとつづいたのである4)。
1972年(昭和47)開催の札幌オリンピックでハイライトとなったのは、日本が表彰台を独占して「日の丸飛行隊」の愛称を生んだスキージャンプ70メートル級(宮の森ジャンプ競技場)だったが、90メートル級がおこなわれた大倉山ジャンプ競技場の生みの親は喜七郎である(当時の名称は大倉シャンツェ)。
昭和のはじめ、スポーツ振興に熱心な秩父宮の「日本にも世界に通用するシャンツェを」という依頼に応じて、私財を投じて大倉土木につくらせ、それを札幌市に気前よく寄贈したのである。総工費は約5万円だった。当時、ジャンプ競技に挑戦する日本人はごく少数だったから、開設したところで盛んに利用される状況にはない。パトロンとしてのバロン・オークラ※がいたからこそ建設しえた、なんとも贅沢な競技施設だった。
※文化活動にいとも容易く大金を投じるおおらかさ、貴族的なふるまいによって喜七郎は周囲から「バロン・オークラ」と呼ばれた。
本文注
1) 村上勝彦「大倉喜七郎の主な活動と年譜」。
2) 國學院大學大学院紀要「大倉喜八郎・喜七郎による芸術文化支援の一考察:大倉集古館と羅馬開催日 本美術展覧会を中心に」種井丈。
3) 『稿本大倉喜八郎年譜』P260。
4) 『帝国ホテル百年の歩み』P137。
永宮 和
ノンフィクションライター、ホテル産業ジャーナリスト
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