100歳を過ぎても働くという自由
カーンにとって、日々の楽しみの多くは知的な発見から得られるものだった。企業を研究したり、ビジネス、経済、政治、技術、歴史などに関する本を読んだりするのが好きだった。莫大な収入のほんのわずかしか使わず、富を誇示することもなかった彼の唯一の道楽が、好きなだけ本を買うことだった。高級レストランでの贅沢なディナーよりもハンバーガーを好み、1930年代に、気に入りの中華料理店で妻と一緒に75セントの食事をとったことを楽しげに思いだす。
100歳を過ぎても、週に何日かバスで通勤していた。彼のオフィスを訪れたとき、あまりに質素な部屋であることに私は驚いた。くすんだ壁は塗りなおしが必要だったし、飾り物といえば、家族のスナップ写真と恩師グレアムの古い写真が留めてあるコルクボードぐらいだった。
「父は新しい発想に興味をもっていた」と、現在はファミリー企業の後継社長を務めるトーマス・カーンが言う。
「ウォール街の人はたいてい金のために仕事をしている。オーダーメイドのスーツを着て、フロリダのビーチに豪邸を買い、高級車を買って運転手を雇い、自家用機を手に入れる。彼らの目的は金を使うことにある。だが、父アービングはちがった。物質的なものは目的ではなかった。父が何よりだいじにしていたのは、正しいおこないをして、よい選択をして、よりよく生きているという満足感だった」
それでもやはり、金はいくつかの点でおおいに重要だった。金があるからこそ、カーンは自分の好きなように生き、好きなように仕事できたのはたしかだ。息子トーマス・カーンのことばを借りれば、「資本を築いてしまえば、自立しているのだから、あとはなんでも自分の好きなようにできる」のだ。
「市場が下落した、だから?」
私がこれまでに取材してきた、大きな成功を収めた投資家の多くにとって、自分の情熱や個性に合わせて人生を構築する自由こそが、金で買える最大の贅沢かもしれない。意表を突く賭けで知られる豪胆な億万長者のビル・アックマンはかつて言った。
「キャリア初期のころ、私個人にとって最も大きな原動力だったのは自立することだった。経済的に自立したかった。自分の考えを言えるだけの独立性がほしかったし、自分が正しいと思うことを実行できるだけの独立性がほしかった」
人とちがう控えめなやり方で、カーンは自分自身に忠実だった。私たちの多くは、100歳になってもマンハッタンのオフィスにバスで通勤するという光景にあまり魅力を感じない。だがカーンは、リタイアしてのんびり暮らすことには興味がなく、美術館や劇場や旅行に出かけることにも興味がなかった。トーマスは言う。「父は仕事を楽しんでいた。それが趣味だったんだ」。
自由に生きることと同じくらい重要なこととして、金はカーンに心の平安を与えた。彼が重んじたのは、利益を最大化することではなく、資本を保全し、何十年も継続して発展させることだった。
充分な現金を手元に取りわけておけば、利益は減っても、逆境のときに投資先をあわてて売却する事態に陥らずにすむ。この安定した基盤と、彼の節度ある消費習慣のおかげで、経済がどれほど混乱しても耐えることができた。
「市場が下落した、だから? 市場が下落してもハンバーガーは食べられる」と息子トーマスは言う。「 『たしかにいまは苦しいときだ。でもほかの人たちのように崖っぷちにいるわけじゃない』って言えるのはじつにありがたいことだ」。
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