(※写真はイメージです/PIXTA)

1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第一次世界大戦……19世紀末~20世紀初頭に立て続けに起こったこの3つの戦争ですが、学生時代の授業ではなんとなく駆け足で、概要しかつかめていないという人も多いのではないでしょうか。今回は『大人の教養 面白いほどわかる世界史』(KADOKAWA)の著者である河合塾講師の平尾雅規氏が、中国の動きに焦点をあてて解説します。

日露戦争勃発…日本辛勝の陰にあったイギリスの全面支援

中国分割で旅順・大連を租借して東清鉄道を着工、義和団事件後も軍隊が満州に駐留、朝鮮への影響力を拡大……。これが当時のロシアによる怒濤の南下です。日露の対立は避けられないものとなり、1904年2月に日露戦争が開戦しました。

 

日本の兵力はロシアにはとうてい及ばず、ロシア太平洋艦隊とヨーロッパのバルチック艦隊が合流すれば、日本艦隊を軽々と凌駕する規模です。

 

短期決戦しかない日本は翌年1月にロシア太平洋艦隊の拠点であった旅順を攻略し、3月には奉天会戦に勝利、5月の日本海海戦※1ではヨーロッパから回航してきたバルチック艦隊を撃破しました。戦績を見れば日本優位ですが、同盟国イギリスの全面支援※2があってのもの。

※1 東郷平八郎が総司令官

※2 新型戦艦や良質な石炭の提供

 

一方、戦争中の物資不足を背景とする血の日曜日事件から始まった第1次ロシア革命がロシアにとって頭痛の種となり、ロシアが戦争を手仕舞いする一因になりました。まさに綱渡りですね。

 

講和であるポーツマス条約遼東半島の利権、南満州鉄道南樺太を日本に割譲したロシアは、南下をストップさせました。ロシアの影響力を排除した日本は、第2次日韓協約で韓国を保護国(すでに日露戦争中に第1次日韓協約を結び、ロシアになびきがちな韓国政府に日本人顧問を設置)し、外交を統括する統監には伊藤博文が就きました。

※ 保護国とは、外交権を失った状態

 

2年後には、第3次日韓協約で韓国の内政権も剝奪。そして韓国を併合するか議論が分かれている中、慎重派だった伊藤博文が安重根によって暗殺されると、日本政府は一気に併合に傾き、1910年に韓国併合が完成しました。

アメリカは日露戦争後、対日感情が急速に悪化

ところで、アメリカは中国分割には出遅れたため、国務長官ジョン=ヘイ門戸開放宣言を発して中国市場の開放を求めました。日露戦争期には、ロシアの満州・朝鮮進出を警戒します。

 

これらの地域がロシアの植民地になってしまえば、アメリカ企業の進出など夢のまた夢です。こんな事情があって、セオドア=ローズヴェルト大統領は日露戦争では日本に好意的な立場をとり、講和を仲介しました。感謝した日本が、ロシア撤退後の中国市場をアメリカに開放してくれるのでは? という期待もあったようです。

 

しかし日露戦争後の日本はロシアと話をつけて、今まで以上に互いの縄張りを囲いこんでしまったんです。期待を裏切られたアメリカは極東で孤立し、中国市場への参入を果たせず、対日感情を急速に悪化させました。

 

太平洋戦争で頂点に達する日米対立をさかのぼると、源はこのギクシャク関係に行きつくともいえます。

 

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※本連載は、平尾雅規氏による著書『大人の教養 面白いほどわかる世界史』(KADOKAWA)より一部を抜粋・再編集したものです。

大人の教養 面白いほどわかる世界史

大人の教養 面白いほどわかる世界史

平尾 雅規

KADOKAWA

「なぜ、戦争や紛争が絶えないのか?」「なぜ、国によって考え方・風習・生活が違うのか?」 ……答えは高校時代に習った世界史の授業のなかにあったはずなのに、大人になったいま、その答えがすっぽりと抜け落ちていません…

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