“朕が茶を恵んでおるのに…”貿易の壁となった「中華思想」
17世紀からはじまった清王朝。清代の東アジアでは中華思想のもとに、皇帝を頂点とする体制が形作られていました。
対ヨーロッパ貿易もこの理念に組み込まれ、「貿易はあくまで皇帝の恩恵である」というコンセプトによって、貿易の条件は全て清が一方的に決定。乾隆帝[けんりゅうてい]がヨーロッパ船との貿易を広州の公行[コホン]に独占させたのも、その表れです。
そんな中、中国貿易のウェイトを高めてきたのがイギリスでした。18世紀に入ると茶が流行し、産業革命期を通じて労働者階層にも普及しました。
しかし、イギリスが自慢の綿布を輸出しようとすると、「茶がほしいなら売ってやるが、綿布など我が中国にもある」と取りあってくれません。仕方なくイギリスは銀(お金)を支払ってお茶を買っていました※。
※ 一方的に商品を買う貿易を片貿易と呼ぶ。
自由な貿易を求めるイギリスは北京へマカートニーを派遣。ここにも中華思想が立ちはだかります。乾隆帝は「朕[ちん]が茶を恵んでやっておるのに、ゴチャゴチャと注文をつけるなら貿易を打ち切るぞ」と完全に上から目線。
「アヘン戦争」突入へ
自由な貿易が叶わない…英が仕方なく始めた「アヘンの密輸」が成功!中国は激怒
イギリス側は現状を改善すべく、なんと麻薬の密輸に手を染めました。インドで生産させたアヘンを中国に運んだところ、これが大ブレイク(アヘン中毒患者が街にあふれ、深刻な社会問題に…)。アヘンの取引額が茶を上回ってしまったため、清側がお金を払ってアヘンを買う、イギリス側の黒字貿易に転換してしまいます。
事態を重く見た清朝は林則徐[りんそくじょ]に対策を命じ、彼はアヘン2万箱を没収する剛腕ぶりを発揮しました。重要な収入源を失った商人の怒りを見てイギリス本国政府は宣戦に踏み切り※、アヘン戦争に突入します。
※ 野党の派兵非難決議は262対271で退けられた
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