「政策対応」が日米の明暗を分けた
1.金融政策
日本と米国を分けたものはなんでしょうか。大きな要因として、政策対応が挙げられます。まず、金融政策についてみていきます。[図表4]は、日本と米国の政策金利と中央銀行の保有総資産(GDP比)を比較したものです。
日本【左】と米国【右】とを比べると、日本は、金融政策に関する対応(政策金利の引き下げと保有資産の拡大)が遅かったことがわかります。
まず、日本については、不動産価格や株価のピークからゼロ金利政策の導入までに、約10年の時間を要しました。しかも、1999年2月に導入されたゼロ金利政策は2000年8月にいったん解除されてしまいます。
ゼロ金利政策導入が遅れたため、その後の量的金融緩和政策(保有総資産の拡大)の導入も遅れることになりました。日銀は2001年3月から量的金融緩和を開始しました。バブルの崩壊から10年以上の期間が経過していました。
他方の米国については、不動産価格や株価のピークからゼロ金利政策の導入までは約1年程度でしたし、ゼロ金利政策の導入直後に量的金融緩和政策(保有総資産の拡大)を導入しました。
当局による金融緩和への積極果敢な姿勢が、金融市場の信頼感回復に好影響を与え、経済活動を刺激しつづけたと考えられます。
2.財政出動(不良債権の処理)
次に、不良債権の処理(財政出動による対応)について確認します。
[図表5]は、前節の図に、不良債権処理の抜本的な処理につながった財政出動のタイミングを付け加えたものです。
日本【左】と米国【右】とを比べると、日本は、財政政策に関する対応(不良債権の処理)が遅かったことがわかります。
まず、日本の場合、不動産価格や株価のピークから、不良債権の抜本処理につながった『金融再生プログラム』の公表(2002年10月)までに約12年の時間を要しました。
他方の米国については、不動産価格や株価のピークから、不良債権の抜本処理につながった『不良債権買取プログラム』(Troubled Asset Relief Program;TARP;2008年10月発効)までに約1年でした。実際には、このTARPは、不良債権の買い取りというよりも、日本と同様、金融機関への増資(公的資金の投入)におもに用いられました。