検察が提示する「的外れ」な施策
こうした地域住民との関係は、エクストリーム大家として引いた目で見守り、なるべくごく自然な成り行きに任せ、何かトラブルが発生したときに、自らの責任で事に当たる。それが経験を通して知った最善のやり方だ。
過去の入居者にも、「もし、あんたの過去の件で近隣住民となんかあったら言うてや」と言い、入居者も「大家さん、そんな話はこっちから(地域住民と)関わりを持たん限り、言われることないで」と言う人しかいなかった。
それにわざわざ自分から、「わし、過去に前科がありまして……」と近隣住民に話すような入居者ももちろんいなかった。
筆者「本当にわざわざ地域住民の方との触れ合いの機会だのなんだの……要りますか? それを求めない、それこそムショ帰りの人もいるでしょう? そういう人たちの気持ちはどう捉えればいいのですか?」
筆者の発言に検察庁のお役人は厳しい目で筆者のほうを向き、こう叫ぶ。
「再犯防止には、地域住民の理解、触れ合いが大事だとあらためて申し上げます!」
余程ムショ帰り、犯罪者だった人を検察庁は積極的に地域住民と触れ合わせたいらしい。
そうした施策を打ち立ててこれを実現し、みんなが幸せな社会を構築する―そんな検察庁による「作・演 検察劇場」に引きずり込まれたようで、筆者の不快感は募るばかりだった。
これは現実問題として絵に描いた餅でしかない。仮に大家たちがこの検察の施策を行ったところで、その場限りで終わるものになるのではないか。まず浸透することはないだろう。
ただただ、こうした現実とかけ離れた理想を平気で宣う検察庁、ひいては行政が空恐ろしく思えた。
「耐震基準は満たされています?」 望ましくない大家に認定
憤懣やるかたない思いで、筆者が次の質問を考えていたとき、検察庁のお役人が逆に筆者に質問をしてきた。
「ところで……あなたのお持ちの物件、耐震基準は満たされています?」
人様の命を預かる大家業である。エクストリーム大家ではあるが、そこは弁えているつもりだ。旧耐震基準ではあるものの、きちんと補修工事もしている。そこは問題ない。
筆者「旧耐震なので補修工事で基準は満たしておりますが。それが何か?」