※画像はイメージです/PIXTA

新選組の土方歳三とホンダの藤沢武夫は、どちらも「ナンバー2」として陰から組織を支えました。本記事では、2人の振る舞いからトップとなる経営者を成功に導く共通点とはなにか考察していきます。

新選組のナンバー2、鬼の副長「土方歳三」

まずは土方歳三からです。土方は新選組のナンバー2で、「鬼の副長」として恐れられた人物でした。新選組は江戸時代末期、幕末に登場します。当時は朝廷派(尊王)や幕府派(徳川)、攘夷派(外国人排除)か、開国派かといった具合に、さまざまな思想が世に入り乱れ、混沌としていました。

 

そもそも幕府は征夷大将軍であり、そういった世の乱れを朝廷のために正すのが仕事のはずでした。そしてそれを執行するのが武士なわけです。

 

しかし、当時はおよそ300年続いた平和な江戸時代。武士はお公家化ともいえる腑抜け状態になっていて、治安を守るために人を捕えたり切ったりするのは不浄と捉え、その役目を嫌がりました。

 

そこで困った江戸幕府は農民を中心に志士を集め、武士にする代わりに京都の護衛をさせようと考えたのです。そこへ、血気盛んな腕自慢たちが一旗揚げようと集まってきました。そのなかに、土方と、のちの新選組のトップとなる近藤勇がいたのです。

 

土方は近藤の遠縁にあたり、東京で近藤の開いていた剣術道場の弟子でした。近藤が幕府の招集を聞き京に上がることを決意すると、同門の沖田総司らとともに上洛(京都に向かうこと)を決意します。その後、京都で新選組の前身である壬生浪士組が誕生することになりました。

ホンダのナンバー2、名参謀「藤沢武夫」

一方、ホンダは、第二次世界大戦後間もない時代に本田宗一郎が立ち上げました。浜松の工場で抜群の腕を誇った天才エンジニアの本田は、「自分が本当にしたいことはいまの会社ではできない」と、鬱々とした日々を過ごしていました。

 

あるとき、知人を介して、当時はまだ別の会社を経営していた藤沢武夫と出会います。藤沢はその1回の面談で、本田をトップにして自分は本田の夢を叶える懸け橋になりたいと思ったといいます。

 

自身の事業をすぐに辞めて本田の下で働くことを決意した藤沢は、以来、名参謀としてホンダを世界的なメーカーに育てる陰の立役者となりました。

 

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