1―はじめに~健康づくりに関する企業の役割~
近年、企業経営や投資の世界で「ESG」という言葉を見聞きします。これは「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(ガバナンス)」の頭文字を取って作られた言葉であり、持続可能な社会を実現する上での企業の役割、さらに企業の長期的な成長を実現する概念として注目されています。
しかし、医療・介護を中心に社会保障政策・制度に関心を持つ研究者として、筆者は「ESG」の「S」について、高齢者ケアや障害者への配慮なども含めて、もっと幅広く考える必要性も感じています。
これまで社会保障政策・制度における様々な論点と「S」の共通点を指摘した上で、社会保障の担い手として企業も重要な役割を果たせる可能性を論じました。さらに、合理的配慮の提供を企業にも義務付けた改正障害者差別解消法への対応、障害者雇用を巡る論点、第4回は高齢者や認知症のケアに関する企業の役割の可能性を問い直しました。
今回「S」の観点を意識しつつ、従業員の健康づくりの重要性が論じられる「言説」の変遷を追うことで、医療費適正化にとどまらない傾向が強まっている点を考察します。
2―健康経営に対する関心の高まり
1.「健康経営*」巡る施策の動向
まず、健康経営に取り組む企業が増加し続けている点を考察します。図1は経済産業省が好事例を認定している「健康経営優良法人」の対象法人の推移であり、大規模法人部門、中小規模法人部門ともに急増している様子を見て取れます。具体的な数字で言うと、最新の2022年3月までに大規模法人で2,299法人、中小規模法人で1万2,255法人が認定を受けており、その増加率も大規模で約10倍、中小規模で約39倍に及んでいます。さらに、これらには地方自治体や医療法人などが含まれており、その対象業種の裾野も広がっている形です。
こうした増勢傾向を踏まえ、日本経団連や全国知事会、日本医師会など官民の関係機関で構成する「日本健康会議」の目標も大幅に引き上げられました。元々、同会議が2015年7月に発足した時の目標は「500社以上」だったのですが、2021年10月に公表された新しい活動目標「健康づくりに取り組む5つの実行宣言2025」では、「10万社以上」というターゲットが新たに設定されました。
さらに、経済産業省は東京証券取引所と連携し、健康経営に戦略的に取り組む上場企業として、「健康経営銘柄」を2015年以降、毎年50社選定しており、健康経営の費用対効果などを明らかにする「健康投資管理会計ガイドライン」も2020年6月に策定されました。
このほか、健康保険組合などの保険者(保険制度の運営者)と事業者が積極的に連携しつつ、加入者の予防・健康づくりに取り組む「コラボヘルス」も広がっています。こうした施策の発展過程や認定企業数の増勢を踏まえると、健康経営がビジネスの世界に定着している様子を読み取れます。
* 「健康経営」はNPO法人健康経営研究会の登録商標。
2.健康経営のメディア登場回数
次に、健康経営に関するメディアの登場回数を見ると、少し面白い動きとなっています。図2は3紙(朝日新聞、日本経済新聞、読売新聞)のデータベース、国立情報学研究所が運営するデータベース「CiNii」を用い、「健康経営」という言葉が登場した回数を表しています。
ここで、2010年を起点にしているのは、「健康経営」をタイトルに冠した最初の単行本*1が刊行された年なので、そこからの変化を見るようにしています。
これを見ると、2015年頃から増加している点、日本経済新聞が朝日新聞や読売新聞よりも多い点を確認できます。つまり、経済産業省による一連の施策効果で認知度が上がったこと、さらに一般の人よりも日本経済新聞を手にすることが多い企業サイドでの関心が高くなっている様子を見て取れます。
さらに言うと、図2の「日本経済新聞」と、日経産業新聞など他の専門紙を加味した「日経全体」の推移が興味深い動きになっています。まず、関連紙を含めた「日経全体」の登場回数が左側で「日本経済新聞」を上回っているのは当時、日経産業新聞で健康経営に関する長期連載が続いた影響です。その後の推移を見ても、「日経全体」が「日本経済新聞」よりも高めに推移しています。
この動きを勘案すると、一般的に多くの人が手に取る日本経済新聞よりも、日経産業新聞など「日経全体」に含まれる専門紙の方が専門的な内容を含んでいるため、どちらかと言うと、健康経営は一般の人よりも、企業経営や金融・マーケットなどを中心とした「プロ好みの施策」と言えるのかもしれません。
では、どんな文脈で健康経営はクローズアップされて来たのでしょうか。下記は筆者の体験も交えつつ、健康経営を巡る「言説」を振り返りたいと思います。
*1:田中滋ほか(2010)『会社と社会を幸せにする健康経営』勁草書房。