「理想主義」の崩壊で始まった第2次大戦
まず、本記事での主張は筆者個人のものであり、所属組織の考えではないことを書き添えておきます。
1939年、現実主義(リアリズム)の国際政治学者であるE・H・カーは『危機の二十年』を著し、第1次大戦後に広がった自由主義的国際主義を「理想主義(ユートピアニズム)」として批判します。たとえば、
・貿易拡大による利益の調和⇒経済の結びつきを強めれば、戦争は起きない
・国際連盟がうたった集団安全保障体制⇒他国に侵攻されても助けてくれる
といった考えです。
しかし、上記を含む枠組み、すなわちヴェルサイユ体制は長くは続かず、同著の出版と重なるように、第2次大戦が勃発します。
プーチンは「NATOの東方拡大」で戦争を決意か
カーの主張になぞらえれば、冷戦終結後は『危機の30年』だったといえるでしょう。
歴史を振り返ると、まず、1971年に西側覇権国の指導者が、アジアの(眠れる)巨大な新興国を訪問すると電撃発表します。訪問は翌1972年に実現します。今年はそれからちょうど50年です。この訪問は、冷戦の相手であった東側の覇権国を「封じ込める」ためでした。
その後、1980年代に軍拡競争が極まり、それが軍縮を呼んで、冷戦は1991年に終結します。
しかし、西側の覇権国は、1991年の冷戦終結後もアジアの巨大な新興国に対し、「自由貿易を通じて経済成長を促し、豊かになれば自由主義的民主主義の国家に変容する」との関与政策(engagement)を続けました。
しかし思惑は外れ、アジアの巨大な新興国は「経済と軍事の大国」として西側の覇権国に挑戦するまでに台頭しました。その成長を促したのは、ほかならぬ西側の覇権国だったわけです。
また、西側の覇権国による「自由主義的民主主義を世界中で拡大しよう」とする働きかけは、欧州大陸では「西側安全保障同盟の『東方拡大』」となって、ユーラシアの大国を率いる指導者の「生存」を脅かし、彼に約80年ぶりとなる欧州での戦争を決心させたとの見方もあります。