最後に残るのは自分の肉体の見せびらかし
■フェラーリは金で買えるが筋肉は買えない
自宅のある表参道あたりは日本有数のお調子者の街だから、道行く人のカッコも変わっている。若いお嬢さんがブランド品の洋服に身を包んで、同じくブランド屋に入っていくのはまぁ不思議はない。
しかし、若い男の子も頭の上から足下まで「いったいそんな服はどこで売ってるの? その髪型はどうやって美容師に説明したの?」と、オジサンが思わず訊きたくなるほど奇妙なカッコをしている。奇妙だが違和感がなく街に溶け込んでいるのは、街がガブガブと奇妙を飲み込み続けては拡大してきたからに違いない。
しかし自宅のある路地から1本裏道。異形に慣れた私でも、思わず振り返って2度見したオジサンがいた。オジサンといっても私と同じ歳か少し上だ。
肩まで伸びた白髪にストローのパナマ帽。顎に伸ばした髭ひげも白い。夏だからTシャツの上にはシアサッカー、和服で言うシジラ織りの涼しげなジャケット。パンツはバミューダショーツで足下は革サンダル。よく日に焼けたその顔にはペルソールのサングラス。サングラス以外のブランドにまったく知識はないが、なかなかお高そうだ。
しかし何より眼をひいたのはその大腿四頭筋。外側はラグビーボールのように楕円に膨らみ、内側の膝上はソフトボールでも入れているのかという位に丸くもっこりと膨らんでいる。バミューダショーツの裾がはち切れそうだ。筋トレに興味のない人が見れば、「キモい〜」と言われるレベルかもしれない。
でも思わず声をかけたくなる。
「太もも、凄いですねえ〜」
そのあと聞きたくなる。
「ところでお父さん、アンタはいったい何者なの?」──。
「顕示的消費」という言葉がある。必要性や実用性ではなく、周囲からの羨望のための消費行動で、ブランド消費ともいう。簡単に言うなら誰かに見せびらかすための消費だ。これが行き着くと、最後に残るのは自分自身の肉体の見せびらかしだ。
なぜなら、フェラーリなら金で買えるが、あの大腿四頭筋はどこのブランド屋に行っても売ってない。何千回、何万回と重さに耐えねば得られないからだ。「あれだけ鍛えていれば見せびらかしたくなるお父さんの気持ちも無理ないよなぁ」と、正直かなりうらやましい。