ウクライナ侵攻によって、より独裁者としての色を強めた現ロシア大統領のウラジーミル・ウラジーミロビッチ・プーチン。FSB(ロシア連邦保安庁=国内秘密警察、KGB第二総局〈防諜・反体制派担当〉の後継機関)時代には「死神」とすら揶揄されていたプーチンが、日本のある議員に見せた意外な素顔について、大統領就任前からプーチンを追っていた元外交官の佐藤優氏が紹介します。

日本の議員の涙に感化された、人情家としての側面

2000年4月4日、私は鈴木宗男総理特使と共にクレムリン(ロシア大統領府)にいた。大統領執務室隣の控え室で緊張しながら、プーチン大統領代行との会談を待った。同年3月26日にプーチンが大統領選挙で勝利した後、初めて会う外国政府関係者が鈴木氏だった。

 

直前の4月2日、小渕恵三総理が倒れた。状態は深刻で再起不能とのことだった。4月29日にプーチンの出身地サンクトペテルブルクで非公式首脳会談の日程を取りつけることが、鈴木氏に対して小渕氏から与えられた特命だった。

 

モスクワの日本大使館は「小渕氏は再起不能の状態だ。首脳会談の日程を取りつけることは外交的に非礼なので、会談は短時間で切り上げればよい」と考えていた。

 

ところが会談の直前に、モスクワの鈴木氏に森喜朗・自民党幹事長から電話が入った。この時点で、森幹事長は次期総理大臣に内定していた。「森・プーチン会談の日程をぜひ、取りつけてほしい」との依頼だ。

 

大統領儀典長の案内で鈴木氏一行が執務室に入る。白い大きな楕円形のテーブルの中央に鈴木氏は座った。1年半前の1998年11月12日、25年ぶりの公式首脳訪問でエリツィン大統領と会談した際に、小渕総理が座った席だった。出張先のイスラエルからモスクワに駆けつけた私は、左奥の最末席に腰掛けた。

 

会談が始まると、プーチンはずいぶん偉そうだなという印象をもった。ロシア新大統領のプーチンから見れば、自民党総務局長(現・選挙対策委員長)である鈴木氏は、総理大臣の名代とはいえ、ずいぶん格下に見えたのだろう。

 

鈴木氏は、次期総理は森喜朗氏になることを明らかにした。さらに森氏の父親が日露友好に献身した人物であり、イルクーツク郊外シェレホフ町の墓地に分骨されているという話を披露する。そして4月29日前後に、サンクトペテルブルクで非公式首脳会談を行うことを提案した。プーチンは「その日には別の日程を入れてしまったが、調整して会談する」と答えた。

 

会談が進むにつれ、はじめ能面のようだったプーチンの顔に表情が出てきた。プーチンが「この席に小渕さんが座っているように思う」と言うと、鈴木氏の目から涙が溢れた。プーチンは鈴木氏の瞳をじっと見つめていた。私には以前、「プレジデントホテル」で見た死神と同じ人物には思えなかった。

 

諜報機関出身のプーチンは、神経質な人物だとよく言われる。だが私は逆に、プーチンは人情の機微がわかる人物だなという印象をもった。

 

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※本記事は、佐藤優氏の著書『プーチンの野望』(潮新書)から一部を抜粋し、GGO編集部にて再編集したものです。

プーチンの野望

プーチンの野望

佐藤 優

潮出版社

ロシアとウクライナの歴史、宗教、地政学、さらには外務官僚時代、若き日のプーチンに出会った著者だからこそ論及できるプーチンの内在的論理から、ウクライナ戦争勃発の理由を読み解き、停戦への道筋を示す。 〈戦争の興奮…

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