信仰から垣間見えた、プーチンとイスラエルの関係
1999年8月、エリツィン大統領はプーチンを首相に任命した。私はモスクワでプーチンに関する情報を探ろうとしたが、核心に触れる情報がまったく集まらない。あるときモスクワのバチカン(カトリック教会の総本山)常設代表(枢機卿※すうききょう)から聞いたひとことが契機になり、私の中でもやもやとしていたプーチン像の焦点が絞られてきた。
「プーチンは信仰心がしっかりしている。肌身離さずもっている十字架をエルサレムの(キリストが磔になった)ゴルゴダの丘の教会にもっていって聖別(神父によって神聖なものとしてもらうこと)してもらった。ただし伝統的ロシア正教徒というよりも、プロテスタンティズムのにおいがする」
「プーチンはゴルゴダの教会にいつ頃行ったのですか」
「正確には思い出せないが、サンクトペテルブルク副市長時代だから95年頃だと思う」
いい情報が手に入った。プーチンの履歴をチェックしてみると、副市長時代のプーチンの担当は国際関係だ。当時、多くのユダヤ人がロシアからイスラエルに出国した。イスラエルの人口(99年)は、およそ600万人(ユダヤ系500万人、アラブ系100万人)だったが、ユダヤ系の100万人は、ソ連崩壊(91年12月)前後から過去15年間に移住した「新移民」だ。
サンクトペテルブルクからはユダヤ人が多数出国した。国際関係担当副市長は移民問題で鍵を握る人物なので、イスラエルが働きかけていないはずがないと私は睨んだ。早速テルアビブに飛び、ソ連・ロシアからの移民受け入れに関する裏事情に通じた人物と会った。
まさにこの人物が94年からプーチンと家族ぐるみで付き合い、プーチンとイスラエル人脈をつないだキーパーソンだった。テルアビブでは、モスクワでは得られないプーチンに関する貴重な情報を得ることができた。
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