場違いな真剣さは周囲から浮いて恥ずかしい
■トレーニング事始め
人が聞けば、笑うほど大げさな覚悟で筋トレを再開したかのように見えるが、ここには少々のタイムラグがある。手術をして再びジムに通い始めたのは63歳のときだ。この少し前に家庭の事情(ま、俗にいう老老介護ですな)で東京から車で3時間ほど、妻の実家があるH市に移り、東京との二重生活になっていた。どちらかというとH市の方が生活の基盤だ。
最初はH市のプールもある総合型ジムに通っていた。この頃はまださほど真剣ではなかった。真剣になりきれなかったのには理由があった。
■「猫なで声」のトレーニングならいらん!
実は、30代後半の頃、生まれて初めてスキーを経験してハマった。何事も道具立てから入るから、最初に新潟のスキー場に部屋を買った。時代もそういうお調子づいた時代だったのだ。プライベートのコーチを頼んで斜面にポールを立て、朝から晩まで本人としては必死に頑張った。と、ある日コーチがニコニコ笑って言うのである。
「△△さん(私の本名だ)。まぁお歳もお歳ですし、膝も硬くなっているのでケガしないように無理せずいきましょう」
これにはキレた。なんだと〜。お前はそんなふうに思っていたのか!
私はね、コースを外れて藪に突っ込もうが、勢い余って曲がりきれずに転倒し、腕の一本や二本折っても(いやウソですけど)構わぬ覚悟でやっていたのに。なんだその「猫なで声」は!
人が最も傷つくのは誰かに自分の真剣さを笑われたときだ。腹が立つより己が惨めに思える。他者に対する最大の侮蔑は同情だ。私は同情されたいわけじゃない。いっぺんにやる気が失せ、スキー道具一式マンションごと友達に売り飛ばした。
そして、今回のジムでは歳を笑われたわけではない。むしろ逆なのだが……。
■「お兄さん頑張るね〜」の脱力
これも後に述べるが、総合型ジムの昼どきはさながらお年寄りのサロンだ。マシンをやる人はいてもバーベルやダンベルがあるフリーウエイトのスペースはガラガラ。そんな昼どき。本日は、苦しくて誰もが避けたい「足トレ」の日だ。「ヨシッ!」と、ようやく気合いを入れ、集中を高めてラックに近づく。
シャフトをくぐって担ごうとしたその瞬間だ。トントンと誰かが肩を叩くではないか。ビックリして振り返る。「オニーサン、いつも頑張るねぇ〜」とおばあちゃんがニコニコ笑って立っているじゃないか。
「い、いえ。そんな、とんでもないです」と意味不明なことを言いながら、心も体も思いっきりヘナヘナと脱力して立ち直れない。場違いな真剣さというのも周囲から浮いて少々恥ずかしいもんだ。
このジムと並行して、パーソナルトレーニング主体のジムにも通い出すが、まだまだ本気には少し遠かった。この頃の気分としては、原稿を書いた後の肩こり予防程度のトレーニングだった。