難攻不落の取次業者から「取扱いOK」の知らせが…!
5月下旬、東販から取り扱いを開始するとの連絡が舞い込みました。電話を受けている間ずっと私は「これは現実だろうか、夢かもしれない」という気がして、にわかには信じられませんでした。
東販から取次開始の許可をもらったことを日販へ伝えると、日販もその意向であるとの返事でした。両社で足並みをそろえる考えだったようです。
しかしながら日販の担当者は「雑誌コードを取らないといけないため、これから東販と協議して進めるが創刊号には間に合わない」と言いました。雑誌コードというのは雑誌の裏表紙などに記載されている識別番号(現在はバーコード付き)のことです。人間でいえば戸籍のようなもので、これがないと納品・返品時に取次も書店も混乱してしまいます。
日販によれば7月中には雑誌コードが発行されるとのことで、日販とは2号目からの取引開始となりました。創刊2号目にして納入数が倍以上になるのです。これは「雑誌ができても流通できないかもしれない」と切羽詰まっていたところからの逆転ホームランでした。
記念すべき「1977年6月30日」
6月30日の午後に印刷所から大きな段ボールの箱が届き、中身は「アパートニュース」がぎっしり詰まっていました。書店や駅売店への納入分は印刷所から直接送られますが、私たちの会社の各支店に配本する分はまとめて本社に送られてきます。
段ボール箱に興味をもった社員たちも私の周りに集まってきます。みんなが見守るなか期待に胸を膨らませて箱を開くと、「アパートニュース」と書かれた赤いロゴが目に飛び込んできました。一冊を手に取りページを開けば真新しいインクの香りが漂います。
「ああ……」、言葉にならない感嘆が私の唇からこぼれました。それまでも印刷見本でチェックはしていましたが、実売品はまた違う重みがあります。
同僚たちもそれぞれに雑誌を手に取り、表紙を眺めたりページを繰っては自分の担当物件を確認したりしています。そして口々に「本当にできたんだね」「すごい」「こんな立派な情報誌が作れるんだ」「表紙もかっこいいね」などと言っているのを聞いて私は感激もひとしお、ついにやり遂げたという充実感でいっぱいでした。
帰宅してから妻にも渡しましたが、「一人でこれを作っていたのね。大変だったでしょう」と毎日の深夜帰りを理解し労ってくれました。
今後は「アパートニュース」の現物を持って、販路拡大や広告依頼の開拓に積極的に回れます。営業部はハウスメーカーやオーナーへの訪問に持参すれば、ちょっとほかにはないパンフレットとして活用できます。
創刊誌の反響は、発売翌日に来た
1977年7月1日、晴れて「アパートニュース」は創刊発売の日を迎えました。この日は私たちの会社にとって歴史的な記念日です。
ただし賃貸住宅情報誌は作って終わりではなく、店頭に並んでからが本当のスタートです。人々に買ってもらい、掲載物件の賃貸契約につながらなければ、せっかく作っても意味がありません。私は読者から反響があるだろうかとソワソワした気持ちで初日を迎えました。
さすがに発売日には反響は分かりませんでしたが、翌日に中村支店に電話がありました。
女性の声で「『アパートニュース』を見たのですが」との問い合わせです。
その女性は翌日に中村支店に来店されて、担当者から詳しい案内を受けていました。契約に至ったかどうかまでは私もフォローしませんでしたが、予想以上に早い反響に手応えを感じずにはいられませんでした。
「アパートニュース」は東海エリア初の賃貸住宅情報誌として創刊から37年間、通巻第849号を記録するロングラン商品となり、会社の成長の屋台骨となっていくのです。
加治佐 健二
株式会社ニッショー 代表取締役社長