日本の資本は動かずに滞留している
経済で、とくにミクロの現象に関しての分析はほとんどが後講釈です。一方で経済ほど戦略的に対峙していかないといけないものはそうそうありません。経済という現象は、消費したり投資したり、すべて先行きを見越してやっているわけです。そういう意味で後講釈が多いのは、経済学そのものに無理があるからだと思います。
経済学が分析するのは過去どうだったのかということと、そこから類推してこうなるだろうということです。だから経済分析には限界があるということです。
だから平成バブルを招いたこと自体は強く非難できないと思います。それよりも、崩壊しだすと、これでもかこれでもかというばかりに、徹底的にバブル潰しに政府と日銀が奔走したことが、「先の大戦後の第二の敗戦」と言われるほどの、四半世紀にもなってなお終わらないデフレ不況を誘引した主因です。その大失敗を糧にしないことに問題があると思います。
■資本が動かないということ
資本主義でいちばん大事なのは、その名の通りキャピタル、資本です。
資本とは価値を生むお金の塊といっていいでしょう。利子や配当、利益や需要を生むわけです。そして国民経済的に言うと、資本はやはり実体経済において価値を生まねばなりません。国民が潤って国力を上げるからです。
GDPは新しく作り出される価値の合計額で、国民が経済的に潤うにはGDPが増えることが必須です。GDPが増えるためには資本が投下されて、新しい価値を生んでいかないといけません。つまり新しい需要をつくり出さないといけないのです。その肝心の資本が世の中で全然動かないとなると、その国は衰退するしかありません。
資本が動かないとなると、どこかに滞留されていることになりますが、一体どこにあるのでしょう。簡単に言うと溜まっているだけです。現金のままで溜まっているのはほんの一部で、あとは預金―銀行に積み上がっているお金、あるいは企業が内部留保でいつでも資金に換えられるカタチで運用しているとか、いろいろな形で滞留しているのです。
企業が内部留保を運用すれば、金融経済ではある程度利子を生むでしょう。しかし運用先は短期の国債や譲渡性預金など、売れば比較的簡単にキャッシュにできる金融商品です。
いわゆるリスクの低い資産です。いつまでもこれを続けては守銭奴みたいなことになります。実体経済にはまったく還元されませんから。お金が動いてこそ資本になります。資本にならないと意味がないのです。