「受験は才能ではなくて要領である」と確信
■灘高に伝わる勉強法
弟に請われたことで、私は改めて灘高に伝わる勉強法を体系化してみました。
すると確かに、灘高の勉強法は東大合格に対応していることがわかりました。
たとえば、当時の東大の社会の試験では、「この8つの言葉を使って、××時代の貨幣経済の特色を800字で述べよ」といったような問題が出題されていました。
これは歴史の教科書を読んだり問題集を解いたりしている限り、対応できない問題です。
では、灘高ではどのような勉強をしているかというと、歴史を扱った新書を数冊読んで、論述するスキルを養うという方法をとっているのです。
そこで弟にも、細かい年号や出来事の暗記は教科書程度でいいと指導し、新書を何冊か読ませて準備をさせました。さらに、数学に関しては解法のパターンを暗記して解くという手法を伝授しました。
灘式の勉強法をマスターした弟は、みるみるうちに実力を伸ばし、見事東大現役合格を果たすことになりました。
この経験は、私が「受験は才能ではなくて、要領である」という信念を持つきっかけとなりました。その後、たくさんの受験参考書を執筆したり、通信教育や進学塾を経営したりするようになった原点は、明らかにこのときの体験にあったと思います。
■「お前は絶対に賢いはずだ」という母の言葉
では、どうして弟は成績がよくなかったにもかかわらず、「勉強法さえマスターすれば、東大に合格できる」という自信を持っていたのか。
これは、間違いなく母親の影響が大きかったと断言できます。
父親も、兄である私も、弟のことを「アホの子」だと思い、公言してはばかりませんでした。しかし、母親だけは違いました。
母親だけは弟に対しても、小さいころから「お前は絶対に賢いはずだ」と言い続けていました。
ときには、
「うちのご先祖様は、賢い人がいっぱいいたんだよ。頭のいい家系なんだから、お前も頭がいいに決まっている」
などと、先祖まで持ち出しては説得していました。実際のところ、どこまで本当の話なのか、よくわからないのですが……。
母親も弟も、よく言えばポジティブ、実のところ能天気な性質があって、「絶対に東大に行ける」と信じて疑いませんでした。
この根拠のない自信こそ、勉強ができる子にするための一番のカギとなるだけでなく、その後の人生において成功するための最大の要素になる、と私は考えています。