人やモノ、金、情報は経済成長につながる
江戸時代後期の外国船との関わりは、江戸時代初期に定められた禁制を揺さぶりました。嘉永6年(1853)の大型船建造の全面規制解除まで紆余曲折がありました。従来の支配体制を維持したい人たちにとっては、非常に困った状況だったのです。自分たちの権力を維持するためには、国内で各藩が勝手に貿易をするのは不都合ですし、外国の情報がどんどん入ってくるのは困ります。
ところが、人やモノ、金、情報が入ってくることは、経済成長につながります。幕府に批判的な新興勢力や、生活が豊かになると嬉しい庶民にしてみれば、幕府が布いている規制は迷惑です。
実際に、江戸時代の経済は好景気やバブルのような活況を背景に、商品経済の発展がもとになって庶民の生活を潤したり、お伊勢参りなどの国内旅行ブームが起きたりした時代もあり、好況と幕府の規制による引き締めを繰り返しています。庶民にとっては、事あるごとに倹約だの我慢しろだのとうるさい江戸幕府が何百年も続くより、経済成長した方が楽しいし嬉しいのです。
現代も日本国内には、経済成長をあえてさせないようにするための政策がたくさんあります。大船建造が禁止された江戸時代、外国船に対応できる軍船が存在しなくなったように、規制には産業の発展を阻害するマイナスの効果があります。規制をかけたところには、人やモノ、金、情報が流れにくくなるからです。
逆に言えば、潰したい産業があれば、規制を作って人・モノ・金・情報を流れ込みにくくすればよいのです。現代の典型例が農業です。考えつく限りの規制を布き、補助金漬けにするやり方で、その体制を維持したい人たちにとっては外国との貿易体制が整うと困るという点で江戸時代と同じです。こうした体制の維持は、新しい輸出産品を開発し、日本も外国との商売に乗り出せると思う人たちにとって、意味のないことです。
日本が開国したとき、農業は最先端のベンチャー産業でした。
農業というと、現在では守らなければならない存在のようなイメージで見られていますが、商売で儲けようという企業家精神に富んだ人たちが担っていた、当時の成長産業なのです。
たとえば、お茶というと静岡茶が有名です。江戸時代、静岡で作られるお茶は御用茶として幕府に献上されていましたが、お茶の栽培が大きく拡大したのは日本の開国以後、横浜港が開港してからのことです。静岡のお茶は、その多くが外国の貿易商社に販売される輸出産品を育てることによってできた商品作物でした。
このほか、養蚕もベンチャー産業です。養蚕は幕末に衰退の傾向が続きますが、安政6年(1859)の「横浜開港」と国際情勢によって、一気に躍進した産業です。当時、ヨーロッパで蚕の伝染病が流行り、日本産の生糸が世界に打って出る契機となったのです。明治初期の人たちは生糸の国際価格動向をにらみ、情報を集め、相場にもとづいて商売の判断をしていました。
貿易において、情報はとても重要です。政府による情報の独占がなくなり、企業家精神を持った人たちが情報を扱えば、欧米列強に比べて産業が後発の日本でも勝負していくことが可能だったのです。
立場の違いによって、新しい状況への評価は異なります。江戸時代末期の幕府のように、今日も明日も、変わらぬ日常が続けば事足れりという人たちは、実際には昨日より今日、今日より明日が衰退していっていることに気付かないものです。現代の「失われた30年」も、そういう人たちによって作られてきました。
これからの日本経済は、減税や規制の廃止によって、もっと自由な形にしていくことが大事です。経済が発展することは、すなわち人、モノ、金、情報を集め、これらを活用する正しい判断のできる人材が表舞台に登場することです。色々な規制、何かを義務付ける細かなルールがたくさんあると、そうした人材はルールにがんじがらめにされて、活躍の舞台に上がることができないのです。
開かれた自由な社会、自由のもとでフェアな競争ができる社会、競争の結果として正当な報酬が得られる社会を目指すこと、言い換えれば人材が活躍しやすく、お金がより意味のあるものに使われやすい状況を作っていくことが、これからの日本経済にとって何より重要なことなのです。
渡瀬 裕哉
国際政治アナリスト
早稲田大学招聘研究員
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