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美術品オークションは展覧会方式の競売
オークションというと、現在は様々なものを扱っているインターネット・オークションを思い浮かべる人が多いかも知れません。もしくは『ルパン三世』でルパンが盗みに行くお宝のあるところのイメージとか、あるいは実際にテレビでニュースとなるような、高額の美術品を売買するサザビーズやクリスティーズを思い浮かべる人もいるかも知れません。
美術品オークションは、美術展覧会が発展した系譜上にあります。
世界で初めて美術展が開かれたのは、1667年のことです。フランスの王立アカデミーによるもので、「太陽王」と通称されるルイ十四世の頃にパレ・ロワイヤルの一画で開催されました。アカデミー会員の作品が一般公開され、市民が芸術に親しむ機会が作られたのです。
この美術展に対して、一般の人たちはそれほど興味を示さなかったといいます。隔年で開催された王立アカデミーの美術展はアカデミー会員の発表の場にはなりましたが、当時、美術品は王侯貴族のものであって、一般の人たちにとっては日々の生活の方が大事だったのです。
ルイ十四世の治世はフランスの絶対王政最盛期と言われ、親政のもとでフランスの国力強化が行われました。重商主義政策をとり、常備軍を作ってフランスが陸軍大国になったのもルイ十四世のときです。国王の権威を高める派手な施策も様々に行われます。よく知られているのはベルサイユ宮殿の建築で、貴族や聖職者に部屋を与えて宮廷文化が大いに花開きます。美術品もそういった中で振興されたものです。
日本で言えば、戦国時代に織田信長が安土城を建築したことや、茶の湯が盛んになったことと通じるところがあります。信長が茶器を武将への褒賞として利用したことで、茶器が一国を揺るがすぐらいの価値で取引されるまでになったのです。芸術をうまく権威と結びつけ、統治に利用する発想は、洋の東西を問わず共通のことなのかも知れません。
ルイ十四世が始めた美術展は、美術品の取引のあり方を大きく変えます。当時の美術品は、受注生産が主流です。貴族や裕福な人が気に入った画家を見つけると、パトロンとして支援し、注文に応じた作品を描かせて報酬を払うのです。
これが展覧会方式に変わっていく契機となったのが美術展の開催だったのです。フランス革命後は美術展が一般に広がっていき、美術品を展示して買い手が付き、価格が決まる方式が広まりました。日本人はあまりピンときませんが、海外で美術品と言えばすぐに頭の中でオークションとつながります。
オークションは、要するに展覧会方式の競売です。絵画などを展示して、一番高い価格を提示した人が落札し自分のものにできるという取引手法です。有名な画家の絵などは、びっくりするような高額で取引されることがあります。日本の実業家で著名な前澤友作氏がジャン=ミシェル・バスキアの作品を百億円以上の値で落札したときは、ニュースにもなりました。
最近の高額落札で報じられたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの『救世主(Salvator Mundi)』という作品で、このときの落札価格は500億円を超えました。ポール・ゴーギャンの『いつ結婚するの(NAFEA Faa ipoipo)』という絵画は300億円以上の値が付いています。
画商の人たちは、オークションの動向を見ながら仕入れや販売をします。たとえば、絵画作品を描いている人が大きなイベントのデザインをすることになると、箔が付いて元からの作品も値上がりするとか、生前よりも亡くなった後に作品が評価されるパターンを睨んで仕入れするなど、買い手が購入した後に価値が上がることを考えた取引をしているということです。