(※写真はイメージです/PIXTA)

経営者が社員と共に学び共に育つ、共育の場をに参加すると、社員の離職率が下がっていくという。どんな秘密が隠されているのでしょうか。岡山県中小企業家同友会の試みをレポートします。

“やずや”創業者の言葉に救われた

岡山同友会代表理事で、独自の腰痛向けのコルセットやサポーターなど次々と新製品を開発、20年連続増収と業績を急伸させているダイヤ工業会長の松尾正男氏も、社員共育大学など同友会の教育システムの効用を高く評価する一人だ。

 

「うちの社員で同友会関係の大学へ行っていないのはパートさんの数人くらい。各段階での共育の結果、社会の変化、会社の変化に対応できる人材が育った。社員共育大学では自社で教育しきれないテクニカルな部分以外のことを、他社の経営者が教育してくれた面もあると思います」

 

松尾氏は1952年吉備中央町で生まれ。大阪経済大学を卒業して入社した会社が倒産、岡山へ帰りカシオ計算機に入社し、「たまたま縁あって、先代社長の次女と結婚した」という。当時のダイヤ工業は小物入れなど袋物を下請けとして作っていたが、問屋が倒産。「さて何をやろうか」と模索しているときに、「親せきから『オーダーメードでコルセットをつくったが痛くてたまらない。改造してほしい』と頼まれた。直してあげたところ、喜んでもらえたんです。これがコルセットをつくる一つの要因になりました」。

 

次の問題は売り先。すでに問屋や病院ルートは先発に押さえられていて、新規に参入するのが難しい。目を付けたのが整骨院ルートである。「このルートを通信販売で攻めることにしたのですが、思ったほどうまくいかない」。77年には減収減益に陥った。社長に就任した翌年のことである。

 

200億円を超す通販業界の代表的企業だが、そのころはまだ規模は小さかったやずや。福岡同友会会員だった矢頭宣男氏がたまたま岡山同友会に講演に訪れた際、その案内には「通信販売は通心販売」とあった。松尾氏に何かひらめくものがあった。

 

矢頭氏は講演でこう話した。「自分が信じる心の商品、つまりオンリーワン商品づくりを目指せ」「深く穴を掘れ。穴の直径は自然と広がる」と。加えて「私は人との出会いによって育てられた。(企業経営は)自分一人では何もできない」。それら一言ひとことが、松尾氏にはしっかり腹に落ちた。

 

まずは「ニッチ市場は宝の山だと確信して」コルセットに専念し、なおかつ整骨院マーケットに全力投球をすると決めた。と同時に、「若い人を登用し、彼らに部下をつけて成長を促そうと考えた」という。そのために同友会の合同企業説明会に参加するとともに、新卒者定期採用にも踏み切った。そうなると、幹部たちも学ぶ必要があると自覚し始めた。折から幹部社員大学が開講することになった。「当社にとって格好のものができた。ここで幹部社員たちを学ばせることにしたんです」

 

それまでは松尾氏と幹部との間にはある距離感があり、必ずしも率直な話し合いができていたわけではなかった。だが、幹部社員大学を経験する中で壁が取り払われ、松尾氏自身にも「あいつ、なかなかやるじゃないか」と幹部の長所が見え、誤りのない評価ができるようになってきたという。

 

そうした結果、社員の離職率は低下した。

 

「かつては、将来の幹部にと見込んで採用した社員に辞められたりしましたが、今はそのようなことはまずありません。社員の定着率はこの20年間でみると70%強、10年だと80%、ここ5年でみると95%にまで上昇しています」

 

時代の流れに乗った健康関連の企業で、業績は順調。しかも風通しがよく、働きやすい会社ということになれば、定着率の高まりは当然と言えば当然かもしれない。
 

 

清丸 惠三郎
ジャーナリスト
出版・編集プロデューサー

 

 

※本連載は、清丸惠三郎氏の著書『「小さな会社の「最強経営」』(プレジデント社、2019年10月刊)より一部を抜粋・再編集したものです。肩書等は掲載時のまま。

小さな会社の「最強経営」

小さな会社の「最強経営」

清丸 惠三郎

プレジデント社

4万6千人を超える中小企業の経営者で構成される中小企業家同友会。 南は沖縄から北は北海道まで全国津々浦々に支部を持ち、未来工業、サイゼリヤ、やずや、など多くのユニークな企業を輩出し、いまなお会員数を増やし続けて…

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