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実店舗はストーリーを語るための舞台
ほとんどのブランドは、商品を動かすためにマーケティング活動に取り組んでいる。だが、私たちの心まで動かすストーリーを紡ぎ出せるブランドはまれだ。私たちはそのストーリーに触発され、奮い立つ。しかも、語りが持つ力強さを生かせるブランドである。
「ストーリーテラー」(物語の語り手)型の小売業者は、そのカテゴリーの申し子にして、カテゴリーの顔。もっと言えば、この業者自体がカテゴリーのような存在になっている。「ストーリーテラー」型は、理想やムーブメントや人々の夢と密接に結びついている。いずれも顧客と深いつながりがあり、チャネルを問わず、豊かで多様なコンテンツや体験を生む創造の源となる。
ナイキはまさにそういうブランドである。
「Just Do It」はただのキャッチフレーズではない。人間の能力を描いたストーリーは、一貫性のある姿勢で語ることができるという思想なのだ。鬨(とき)の声である。
アメリカンフットボールのスター選手で、サンフランシスコ・フォーティナイナーズの元クォーターバック、コリン・キャパニック選手は、2016年に黒人に対する警察の暴力に抗議して、国歌斉唱中に膝をつき、起立を拒否したことで知られる。そのキャパニック選手をナイキが広告キャンペーンに起用したところ、新たな批判を浴び、物議を醸し、論争や討論に火をつけた。最終的にはナイキというブランドに対するファンの忠誠が一層高まることになった。
このようにナイキは、ブランドによる語りの好例とされている。
ナイキが語るストーリーを解剖してみると、ギリシャ神話のつくりを思わせる非常に古典的な筋立てを踏襲する傾向が浮かび上がる。第1に、常に主人公がいて、ゴールの達成や克服・征服に乗り出す。ところが、克服できそうにない障害が行く手を阻む。あきらめて敗北を受け入れるほうが簡単と思われても、主人公は前へ前へと突き進み、信じられないような勇気と力を発揮して障害を乗り越えていく。
主人公がスター選手であるか、みなさんや私のような普通の人であるかは関係ない。ストーリーは、逆境の克服、強い精神力、嘘偽りのない人間の意志を描き出し、比喩としてあるいは文字どおりのゴールのテープを切る。
それぞれのストーリーに込められた教えは、たとえば、すっかり伝説となった「Just Do It」や、最近の「Believe in something. Even if it means sacrificing everything(何かを信じるんだ。何もかもが犠牲になったとしても)」があるが、いずれも普遍的に共感できる考えだ。そのすべてが古典的なギリシャ神話に由来している。現代でも通用する。
ナイキは、一貫して深みのある感動的な筋立てを創り出し、顧客の心をがっちりつかんで放さない。同社では、ストーリーができあがると、これに命を吹き込む演じ手・役者を集めてくる。
たとえば、人々のやる気をぐいぐいと引き出すマイケル・ジョーダンの名作CM「Failure」では、試合中に犯した自らのミスや欠点を次々に列挙し、これを克服したからこそ成功したという流れになっている。そして、オンライン、オフラインを問わず、顧客とのあらゆるタッチポイント(接点)で、このストーリーを語り、顧客が自分自身を主人公に重ね合わせるように演出している。
ポイントは、ブランドであり小売業者でもあるナイキが、シューズを売り込もうとしていない点だ。はるかに大きなことをしようとしている。人間の能力、忍耐力、偉業を売り込もうとしているのだ。これは極めて独自の発想だ。競合他社にしてみれば、ランニングシューズなら分解すれば秘密を探ることもできるが、これははるかに解析が難しい。
「ストーリーテラー」型のブランドの商品が持つ品質や性能は重要でないと言っているわけではない。どちらも間違いなく大切だ。「ストーリーテラー」型のブランドの場合、商品は1つの要素に過ぎない。最大の関心事ではないのである。
一番大事なのは、このブランドが人々に語りかけるストーリーを常に刷新し、書き直し、作り変えることにより、顧客とのつながりを維持することにある。顧客に買ってもらうのは、ストーリーなのである。商品は、物質的な産物に過ぎない。
「ストーリーテラー」型のブランドにとって、実店舗は、魅力あふれるストーリーを語るための舞台やスタジオである。店舗は、オンラインかオフラインかを問わず、顧客をストーリーに引き込み、長期にわたって色褪せない関係を盛り上げていくことで、あらゆるチャネルや業態に展開できるようにする役割を果たすのだ。
ダグ・スティーブンス
小売コンサルタント