「家族の悩みに答えること」も含めて「診療」
にもかかわらず、先に挙げた例のように、機器や読影技術の発達を背景に、画像検査がすべて、画像で何でも分かるかのような風潮があることを危惧しています。
画像に異常所見がないから問題ない、と言い切った先の医師に、私は問いたいのです。
画像を見て、その患者が車椅子なのか、失禁しているのか、分かりますか?
ごはんを食べさせるのに1時間もかかるということを、あなたはその画像を見て分かるのですか?と。
画像を見ただけで「この患者は歩行が困難である」とか「失禁している」とか「夜、徘徊してしまう」といった症状まで分かるような検査機器や技法は現時点で存在していません。
認知機能の低下があり日常生活に支障をきたすことが認知症の診断基準である以上、画像検査でできることは限定的であり、むしろ生活の様子を丁寧にヒアリングしなければならないのです。
それができない、しようとしない医師が画像偏重に走る、といっても言い過ぎではないと思います。
家族からろくに話も聞かず、画像がこうなっているからこうだ、とか、心理検査も同様にテストの点数がいくつだったからこうだ、というのは「解説」にすぎず、「解決」にはなりません。
解決とは、診断を正しく行うのみならず、家族の悩みに答えることも含まれます。アルツハイマー型認知症のように治せないものもあり、家族の気持ちに寄り添うことしかできないときもありますが、それも含めて診療だと思うのです。話も十分聞かず、じゃあ画像をとりましょう、検査しましょう、というのでは診断以前の問題で、医師の資質にも関わるとすら思います。
症状をつかみ、軽減したりし、それにまつわる家族の悩みを解消する、対処法を教えるほうに、診療はもっと力をいれるべきなのです。
繰り返しますが、各種検査はあくまで補助的なもので、偏重されるべきではありません。
磯野浩
医療法人昭友会埼玉森林病院院長