「良い子タイプが多い」…教師という「孤独な人々」
まず、教師になる人たちというのは、学生時代から勉強ができて性格的にも真面目な努力家で、いわゆる良い子タイプが多い傾向にあります。学生時代のアルバイトも家庭教師や塾講師のような「先生」と呼ばれて大切にされる仕事だったりすると、まず大きな挫折を経験することがないのです。
挫折を知らずに大人になると、他人を頼ることを「ダメなことだ」と解釈しがちで、人に頼りたい自分を「弱い」「努力が足りない」「情けない」と感じてしまいます。今まで困り事は自分で解決してきたという自負もあるので、仕事の悩みも自分でどうにかしよう、できるはずだと考えてしまい、なかなか人に相談することができません。
また、教師という仕事はもともと個人プレーの多い職業です。
いったん教室に入ってしまうと、外からは見えにくい「密室」になります。隣の教室の先生がどんな授業をしているのか、どんな学級運営をしているのかも分かりません。
それに、「他人のやり方には口を出さない」という暗黙のルールがいまだに健在です。だからこそ教師の個性が保たれるし、主体性が高まるのですが、一方で、教師の孤立や、指導や成果の格差を生む一因にもなっています。
さらに、授業の進め方にも孤立の要因は潜んでいます。教師が子どもに説明して分からせる、指名して答えさせる、板書をノートに写させる、騒ぐ子には注意して静かにさせる……のように、使役(子どもに〜させる)によって授業を進めていると、子どもたちにとっては「やらされている」勉強なので、面白くもないし大切さも分かりません。
そこに「教師 対 反応の悪い大勢の子ども」という構図が生まれます。これはつらいものです。
また、職場の同調圧力もあります。