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「ウザい!」「あっち行って!」明るかった子どもが…
H先生:Cさんは、クラスでも明るくほがらかな人気者。出会ったころは小4でした。はにかんだ笑顔を見せながら苦手なことにも自分なりに努力して前向きに取り組む児童でした。
しかし5年生になる頃から目つきが変わり、友達にも教師にも冷徹な態度をとるようになりました。
言葉遣いが乱暴になり、「そんなことでいちいち来ないで」「つまんない。そんなことする必要ないでしょう」などと発言したりすることが多くなっていきました。
こうした態度や言動に出くわすたびに注意する先生もいました。それこそが一般的な指導かも知れません。でも私は、彼女の態度も言葉も表情も、丸ごと受けとりたいと思い、その姿勢で関わり続けました。
「ウザい!」と彼女が言ったら私は「へ〜、ウザいか」、「あっち行って!」と彼女が言ったら「あっち行ってほしいか、じゃあ、またね!」。
承認の言葉に反発するのもCさんの特徴でした。「しっかりできたね」「ありがとう」……どんな言葉であっても、「そんな言葉、いらない!」。特に全体の場で承認されると、プイッとしてしまう傾向がありました。
私は担任と協力し、私は「A先生(担任)が感謝してたよ」、担任は「H先生が喜んでたよ」と、Iメッセージを間接承認の形で伝えるという工夫を続けました。
そしてほぼ毎日、何かしら声をかけて会話のきっかけを創るようにしました。ほとんどが空振りでしたが、それでいいと思っていました。
6年生も後半になるころ、珍しくCさんと会話が成立しました。彼女はこう教えてくれました。「私はある時から人を信用できなくなった」と。そのきっかけについては語られませんでした。
卒業するまで彼女の冷徹な態度は変わりませんでした。授業中に困っている問題について質問してきたこと、Cさんから挨拶してきたことが数回あった程度です。
根気強く話し続けたら…卒業間際にまさかのプレゼント
しかし卒業(私も離任)の際、思いがけず彼女からプレゼントをもらいました。ハートの片割れのペンダントでした。
ハートのもう一方の片割れが彼女の手元にあるのだとしたら、ただ寄り添い続けるだけだった私の関わりが、Cさんの心に何かを起こしていたのかもしれません。
どんな人にも長所や短所があります。どんな行動にもそうしてみようと決めた理由があります。それを尊重し、「人は総である」と信じて待つことが、教育にはとても大切なことだと、Cさんとの関わりを通して改めて学びました。焦らず、急かさず、根気強く、そして相手を変えようとしないで、変わるのを支援する。そうすれば今までとは違った生徒の顔を見られるはずです。