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「もうね、絶対に高齢者の人に住んで欲しくない」
そう吐き捨てて、部屋から出て行きました。私の手元には、ラッピングされたバスタオルが残りました。
隣の家主のところに鍵を返却に行った際、不覚にも涙がこぼれ落ちそうでした。嫌な思いのまま引っ越しさせてしまったこと、この数ヵ月の力が及ばなかった情けなさ、先日の電話とのギャップ、荷物も何もない空室で怒鳴り散らされ、渡そうと思ったバスタオル……。
何の涙か自分でも分かりませんが、仕事で泣きそうになったことは初めてでした。それくらい密室での張田さんとの最後は、私にとって強烈だったのです。
「もうね、絶対に高齢者の人に住んで欲しくない、そう思ったのよね」
私の浮かない顔を前に、家主の奥さんが声をかけてくれました。
「やっと今にも崩れ落ちそうなアパートを取り壊す目処が立ち、ようやく安心して寝られる。長かったわ、ありがとうね。高齢者だから悪い訳じゃないってことは、分かっているのよ。けどこれだけ古い建物から退去してもらうのが大変だなんて思いもしていなかった。この2年、生きた心地はしなかったわ。建物はいつか古くなるからね。もう高齢者には入って欲しくない、そう思うの」
奥さんの横で、家主も頷きます。
バスタオルを持ちながら、帰る帰り道。高齢者だから悪い訳じゃない。今までだって、私が携わった何人もの高齢者の人たちは「ありがとうね」、そう言って転居していってくれました。
それでも張田さんのようなことも、現実にはあるのです。この難しさは、民間の家主が背負うには厳しすぎます。これを一度経験してしまったら、高齢者に「貸したくない」、そう思っても仕方がないことかもしれない、それが正直な思いでした。
※本記事で紹介されている事例はすべて、個人が特定されないよう変更を加えており、名前は仮名となっています。
太田垣 章子
OAG司法書士法人代表 司法書士