(※写真はイメージです/PIXTA)

古いアパートを取り壊すための立ち退き交渉には、残念ながらトラブルがつきものです。ここでは、家主、そして司法書士をも憔悴させた事例について、OAG司法書士法人代表・太田垣章子氏が解説します。 ※本記事は、書籍『老後に住める家がない!』(ポプラ社)より一部を抜粋・編集したものです。

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    「次のところ?まだ見つかっていませんよ」

    半年の期限があと1ヵ月に迫った頃、張田さんに引っ越しをするような様子はまったく見られません。息子さんもたまに見かけるものの、相変わらず働いている様子はなさそうでした。気になって、張田さんのところへ会いに行ってみました。

     

    「次のところ? まだ見つかっていませんよ。どうせ役所に相談に行っても、自分で探せって突っ返されるだけですから。家賃さえ払っていればいいんでしょう?」

     

    どうやら和解の中で、期限が過ぎたら実際に明け渡すまで賃料相当損害金を払えと書いてあるので、賃料額さえ払えばそのまま住んでいていいと思っているようです。

     

    期限が過ぎれば、家主側は強制執行を申し立てることができてしまいます。一生懸命に説明するのですが、張田さんは「家賃さえ支払えば大丈夫」と言い張ります。

     

    これは困ったな……時間がない中で、私の気持ちは焦りました。

     

    市の住宅支援事業の部署とは、話をつけていました。本人を連れてきてくれさえすれば、いくらでも対応できますとの回答も得ていました。何とかこの足で一緒に行きたかったのです。でも張田さんは拒否します。

     

    「行きましたよ、以前に。でも門前払いでした。何の役にも立ちません。だから行きません」

     

    説得しても、答えはノーです。ほとほと困り果てました。このままだと強制執行になってしまうかもしれません。とにかく不動産を探しに行こうと説得しても、思いは届きません。

     

    ここは腹をくくるしかありません。時期が来たら強制執行を申し立て、その調書を持って役所に行けば緊急性があるということで、物件紹介もしてもらえるかもしれません。どれだけ一緒に不動産を探しに行こうと言っても、張田さんは首を縦には振ってくれなかったので、これ以上は粘ることができませんでした。

     

    それでも私は、諦められなかったのです。

     

    最後にもう一度、娘さんにお手紙を書きました。今度は和解調書のコピーも同封しました。このままではあと1ヵ月もしないうちに、強制執行を申し立てることも書きました。

     

    なんとか協力して欲しくて、なんとか娘さんと話がしたくて、とにかく必死だったのです。毎日祈るような気持ちで、連絡を待ちました。

     

    どうして連絡がないのでしょう。電話1本したところで、何の損があるのでしょう。連帯保証人なのに、母親の引っ越しなのに、状況を把握するためにも、知りたくないのでしょうか。連絡することくらいいいじゃない……連絡が来ないことで泣きそうにもなりました。

     

    そうして期限の1週間前、私の待ち焦がれる気持ちがピークに達した頃、娘さんからではなく張田さん自身から電話がかかってきました。

     

    「引っ越しの目処が立ったので、鍵の受け渡しをお願いします」

     

    全身から力が抜けました。

     

    今まで口調もきつく、いつも喧嘩腰で喋っていた張田さんも、心なしか口調が柔らかくなっています。ホッとされたのでしょうか。私の労をねぎらう言葉もかけてくれました。あぁ、良かった、強制執行しなくて済んだ。ここ数ヵ月の重りが、ようやく外された気がしました。

     

    電話を切って、きっと娘さんが手伝ってくれたのだ、そう思いました。今まで動かなかったものが、娘さんの力で動いた。こちらには連絡してくれなかったけど、ちゃんと母と娘は繋がっていたんだ、張田さんは孤独じゃなかったんだ、そう思ってとても嬉しかったのです。と同時に、張田さんの初めて穏やかな声が聞けて、私は舞い上がる気持ちでいっぱいになりました。

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    老後に住める家がない!

    老後に住める家がない!

    太田垣 章子

    ポプラ社

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