(※画像はイメージです/PIXTA)

高齢者の介護を高齢者がおこなう老々介護が全国で続出しています。今回は98歳の認知症の母親を、これまで不仲だった娘が、在宅で介護をする事例を紹介します。本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

98歳認知症の母親は「すーっと逝っちゃった」

■「お昼寝している間に逝っちゃった」泣き笑いの看取り

 

H江さんは98歳のおばあちゃん。認知症で意思の疎通はほぼできないのですが、とっても可愛らしい方で、私たちスタッフみんなのアイドル的存在でした。

 

3年前、肺炎で入院したとき、ご高齢であることに加え、もともと心臓が悪かったH江さん。いつ急変して亡くなってもおかしくない状態だったため、療養型の病院への転院を勧められました。ご本人の意思表示はできないなか、娘さんがご自宅での療養を決めて、在宅医療がスタートしました。

 

毎日の暮らしのお世話から床ずれのケアまで、娘さんは本当に丁寧にやってくださっていました。

 

ですが実は、もともとH江さんと娘さんの仲はあまり良くなく、入院前までは娘さんの旦那さんが主に面倒を見ていたそうでした。今回、家に帰る決断したタイミングで、娘さんが全面的に介護を引き受けることにしたのだと言います。

 

娘さんは75歳という年齢でしたが、H江さんのことを「お母さん」と言わずに必ず名前で呼ぶところが、おふたりの距離感を表しているようでした。

 

ただ、私たち医療者側から見ると、娘さんは本当に手厚い介護をされているという印象でした。

 

食事は少しですが口から食べられていて、食べさせてあげると「うんうん、うんうん」と言いながら召し上がって、いつも通りの日々がつづいていました。

 

はじめて訪問させていただいたときと、調子をくずしたときには、心臓が悪いこと、ご年齢から急に亡くなる可能性があることをお話ししてきていましたが、3か月ほどはお熱を出すこともなく、穏やかな時間がながれていました。

 

お別れは突然やってきました。

 

いつもどおりお昼ご飯を食べて、お昼寝をして、娘さんが自分の食事を終えてH江さんのベッドを見に行くと、すでに呼吸がなかったのです。

 

「あれ? 呼吸してない?」

 

そう思って、私たちにお電話してくださった娘さんから、悲愴感は見られませんでした。娘さんのなかでは、私たちに言われずとも、「もう、いつなんどきでも」という心の準備が整っていたのです。

 

私がお宅に到着すると、娘さんはH江さんに向かって声をかけていました。

 

「H江さん、本当によかったね。何も苦しいこともなく、ねえ。すーっと逝っちゃったね」

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「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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