戦後、経済を立て直した「消費者共和国」
今日、ブランド各社の動向を見ていると、自社製造品を自社販路で消費者に直接販売するD2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)というビジネスモデルが盛り上がっているが、結局のところ、このD2Cとは、商売がこの世に生まれたときからある形態なのだ。
ただ、1800年代中期.後期には、工業化の進展と集中化が進み、大都市の人口が爆発的に増え始めた。1870年にアメリカで人口100万人を超えていた都市は2つしかなかった。1900年までに6都市に増え、アメリカ人の40%が都市環境に移り住んでいる。人口は力となり、都市が政治、文化、経済活動の中心地になった。
小売りにも工業化社会の様相が投影され始め、ボン・マルシェ、セルフリッジズ、メイシーズ、マーシャルフィールズなど最初の百貨店が誕生したのもこのころだ。いずれも史上空前の爆発的な需要増を背景に生まれたものだ。かつては製品の作り手と売り手が同じであることが普通だったが、効率化と生産性向上のために徐々に仕事の分担化が進んでいった。作り手は作るだけ。売り手は売るだけ。
1800年代より前の時代は、ものづくりといえば、客に合わせてカスタマイズするのが当たり前だったが、標準化された製品の大量生産へと急激に軸足を移し、スケールメリットゆえの低価格化も進んだ。
需要の増加によって、供給の安定化がますます重要になり、1800年代中期から後期にかけて、今日の現代的なサプライチェーンのはしりが姿を現し始めた。蒸気機関や自動車、鉄道、路面電車といった新しい輸送技術のおかげで、ある市場で原材料を調達し、別の市場で製品を製造し、さらに別の市場でこの製品を最終的に販売することが可能になったばかりか、安上がりに実現できるようになった。
たとえば、ヨーロッパの服飾産業は、かつてはインド産の綿などの原材料に頼っていたが、価格競争力のあるアメリカ産の綿を調達し、最終製品をアメリカ向けに販売できるようになった。1900年代中期には、規格化されたコンテナの導入など、さらなるイノベーションが追い風となって、モノの移動がますます容易になった。
都市部の人口が増加するなか、建築家の想像力は上へ上へと向かって、初の高層ビルの誕生につながり、地上1階には小売店、上層階にはオフィスや工場が入居した。そして、日々の稼ぎを求めて、毎日大量の労働者軍団がビルに吸い込まれていった。都市は、世界経済の原動力としての地位を固めはじめた。
第2次世界大戦直後、アメリカをはじめ、さまざまな国が経済を立て直していったが、その原動力となったのが、ハーバード大学のリザベス・コーエン教授の言う「消費者共和国」なる力だった。1945年以前のアメリカは、基本的に借家人の国だった。
ところが戦後、復員兵援護法などのプログラムに補助金による支援策が盛り込まれた結果、家や土地を所有する機会が生まれ、何百万人もの人々が郊外に引き寄せられた。自動車所有は過去に例のない水準に達し、高速道路網の整備も手伝って、毎日の通勤という現代の習慣が生まれた。