景気拡大が急すぎる…輸送業界が直面した財政難
慢性化した輸送力不足を解消すべく、政府と国鉄により1956年に策定されたのが「第一次5カ年計画」です。
この計画には、戦時中から使用し続けてきた機関車や貨車、レール、トンネル、橋桁などの修復および新調、主要幹線の線路増設や複線化、コンテナ輸送の導入をはじめとする輸送方式や貨物設備の近代化などが盛り込まれました。
政府と国鉄は、貨物輸送量の需要の伸びを年率3%と想定、計画の実施により5年で25%の輸送能力の増強を見込んでいました。そして、その時点で60%しかこなせていない輸送依頼への対応を90%弱に改善し、貨物到着時間の短縮や荷役能力の向上によりサービスもよくなると期待していました。
ところがふたを開けてみれば、当時の景気拡大とそれに伴う貨物輸送需要の増加は、政府と国鉄の読みをはるかに上回りました。
それを受け、計画実施前に輸送量の需要の伸びを年率4.5%と修正、設備投資額も当初の計画から19%増やし、5970億円としました。
その後、貨物輸送需要がますます増えるなか、計画にあった「18%の運賃引き上げ」が、政治的判断により13%に抑えられました。また、人件費などの経費が膨張していったこともあり、国鉄は財政難に見舞われました。
結果的に、計画4年目までの進捗率は68%にとどまり、設備の刷新はおおむね完了したものの、主眼であった輸送力の増強や輸送設備の近代化は満足に達成できず、国鉄の輸送力は再び不足していきます。
事態を改善するべく、1960年には、4年目に入っていた第一次計画を修正する形で、新たな「第二次5カ年計画」が発足、前計画の2倍に上る予算をつけ、輸送力の増強を目指しました。前計画で未達成の部分へのテコ入れに加え、大貨物駅の整備、拠点駅の近代化工事などを実施していきましたが、第二次計画もまた、物価や人件費の高騰に悩まされ、東海道新幹線に対する投資の優先などもあって結局は慢性的な輸送力不足を解消することなく終わりました。
「国鉄と民間業者」足並みを揃えるはずが大問題が勃発
そのほかに、この時期の国鉄にまつわるトピックスとして触れておきたいのが、「協同運輸問題」です。
1957年、茨城県東海村の原子力研究所において臨界実験が成功し、次世代のエネルギーとして注目を集めたその年に、通運業界では、一つの騒ぎが持ち上がっていました。
ことの発端は、国鉄が以前から行ってきた、「国鉄自動車による小口貨物の自社輸送」にありました。国鉄では、小口貨物のすべてを貨車で輸送するのが場合によっては非効率になることから、戦前より一部の近距離線区で自社の自動車を運用してきました。国鉄としては、近距離線区や閑散線区における小口貨物の輸送を自動車に委ねるというのは、輸送力への対応策としても、業務の合理化という面でも当然であるという思いがあったようです。
戦後、こうした輸送方法は鉄道と自動車双方の長所を活かせる「協同運輸」として話題に上がり、GHQからも鉄道輸送に自動車の機能を導入すべきと勧告を受けました。
そうした背景から、国鉄では1950年1月に、東京都区内発着の小口貨物の集約輸送を開始。4月には宮城県の仙山線、仙石線、塩釜線、翌年からは茨城県の水戸線、水郡線、真岡線などで協同運輸を実施しました。
そして1957年10月1日から、東北本線の秋葉原―盛岡間で集約輸送を試みようとしました。同区間内にある、大宮、宇都宮、福島など10の大規模駅を中心駅として、小口輸送列車は中心駅のみに停車、その間の駅については国鉄自動車で中継輸送を行うというこのプランに対し、通運業界から猛烈な反対の声が上がりました。
「国鉄自動車で、民間の市場を奪うな!」
「国鉄で受託した荷物を、国鉄が駅から駅へ運ぶのになんの問題があるのか」
両者の主張は真っ向から対立、運輸省が仲裁に入る事態となりました。
結果的に、国鉄の自社による協同運輸は限定的に認められましたが、その後のトラック輸送の発展によって減少に転じ、1965年に実施された小口貨物の輸送合理化により廃止されます。
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