(※画像はイメージです/PIXTA)

物流ネットワークの重要性は、災害が起こるたび注目を集めます。いまも静岡の土砂災害を受け、多くの運送業者が支援物資の輸送に尽力しています。日本は「災害大国」と呼ばれるほど数多くの災害を経験し、その復興の影には常に物流の存在がありました。本記事では輝かしいイメージとは裏腹に、渋滞問題の深刻化や立て続けの天災に見舞われた高度経済成長期を振り返り、物流が果たしてきた役割を紐解きます。

高度経済成長が招いた「都市部の大渋滞」問題

高度経済成長期の真っただ中にあった日本は世界でも類を見ない成長を遂げ、ほかの先進諸国の年平均名目経済成長率が6~10%であったところ、日本の成長率は15%にも達しました。GNPでも先進国を次々に追い抜き、1969年には米国に次いで2位という経済大国となりました。

 

1960年代に入ると、経済成長に後押しされ、モータリゼーションがいよいよ本格化していきます。

 

経済の拡大と歩調を合わせ、自動車の販売台数も急速に拡大。なかでも乗用車がよく売れ、国内の自動車保有台数は、1965年で630万、1967年に1000万台を突破します。生産台数も、1965年で188万台、1967年には315万台となり、世界で第二位の自動車生産国となりました。

 

モノの輸送量もどんどん増え、輸送業界も社会とともに成長を遂げました。トラック事業が安定期に入ったと見られたことで、東急、西武、京成、近鉄、西鉄などの私鉄資本が市場に参戦し、買収や合併が相次ぎました。それにより、1960年代前後で大小合わせて100社ほどのトラック会社が姿を消したといいます。

 

そうして進む急激なモータリゼーション化のひずみとして、車や輸送量の増加に道路整備が追い付かず、都市部を中心にひどい渋滞が起きるようになります。都市内に加え主要な幹線道路もパンク寸前の状態で、自治体は何らかの対策を求められました。

 

そこで東京と大阪では、交通規制が強化されます。特に東京の規制は厳しく、日中の大型車の乗り入れを禁止するというもの。輸送業界では、この規制実施に備え、運行形態を見直すなど対応に追われました。

 

このタイミングで人気となったのが、中型トラックです。

 

それまでの輸送車両の中心は、大型の8トントラックか、小型の1トントラックでしたが、大型車の規制により、折よく販売されていた3.5トントラック、ジュピターが売れ出しました。これが他社の中型車開発の引き金となり、結果的に輸送車輛はより多様化していきます。業界にとってネガティブな一つの規制をきっかけに多様性が生まれたというのは非常に興味深いところです。規制やルールという縛りがあるからこそ、それを乗り越えるためのアイデアが生まれ、世の中が変わっていくのでしょう。

 

(著者提供)
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※本連載は、鈴木朝生氏の著書『物流の矜持』(幻冬舎MC)より抜粋・再編集したものです。

物流の矜持

物流の矜持

鈴木 朝生

幻冬舎

大正3年、まだ大八車や馬車が物流の主な手段だった時代から、地域とともに歩み、発展を遂げてきた丸共通運。その歴史から、物流業界の変遷、日本の発展を振り返る。 丸共通運は大正3年に創業し、まだ大八車や馬車が物流の主…

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